魚住為楽(読み)ウオズミ イラク

20世紀日本人名事典 「魚住為楽」の解説

魚住 為楽(1代目)
ウオズミ イラク

昭和期の彫金家



生年
明治19(1886)年12月20日

没年
昭和39(1964)年7月15日

出生地
石川県小松市

本名
魚住 安太郎(ウオズミ ヤスタロウ)

主な受賞名〔年〕
現代美術展最高賞〔昭和24年〕,金沢市文化賞(第6回)〔昭和27年〕,北国文化賞〔昭和27年〕,石川県知事賞〔昭和28年〕

経歴
明治40〜41年大阪久保田鉄工所に入って金工業を、41〜大正5年山口徳蔵に師事して仏具製作を学び、鈴(りん)の鋳造研究。24歳の時、金沢で銅鑼を独学研究。昭和10〜19年正木真彦、香取秀真について砂張鋳造を学んだ。この間11年第1回帝展に1尺2寸の銅鑼を出品、12年1尺8寸、余韻1分16秒の銅鑼銘「雲の井」を完成した。13〜14年法隆寺夢殿厨子ヤリカンナ施工。27年銅鑼制作の技術で無形文化財に選定され、28年石川県知事賞、30年人間国宝に認定された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「魚住為楽」の意味・わかりやすい解説

魚住為楽
うおずみいらく
(1886―1964)

大正・昭和の金工家。石川県小松生まれ。本名安太郎、為楽は号である。1904年(明治37)、大阪で仏具製作を山口徳蔵に師事、そのかたわら砂張(さはり)(銅に錫(すず)、鉛を加えた合金)の鈴を製作、ついで砂張の銅羅(どら)の鋳造を独自に研究し、36年(昭和11)帝展および文展に銅羅を初出品、ともに入選し注目を集めた。砂張は硬いうえにもろく、また鋳造には鬆(す)ができやすく、金工材料のなかでも取扱いがむずかしいが、為楽はことにこの砂張を用いた鋳造を得意とし、銅羅をはじめ花入れ、建水(けんすい)などの茶道具に優れた作品を残した。55年(昭和30)重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。砂張の加工技術は孫の安彦(やすひこ)(1937― )が伝承し、2002年(平成14)3代魚住為楽を襲名。同年、人間国宝に認定された。

[原田一敏]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「魚住為楽」の解説

魚住為楽(3代) うおずみ-いらく

1937- 昭和後期-平成時代の鋳金家。
昭和12年11月7日生まれ。祖父の初代魚住為楽に砂張(さはり)(銅と錫の合金)加工技術をまなぶ。昭和37年日本伝統工芸会会員。平成10年「砂張千筋文様水指」で日本伝統工芸展文部大臣賞。深い余韻を特色とする銅鑼(どら)を制作する。14年3代魚住為楽を襲名,同年銅鑼で人間国宝。石川県出身。本名は安彦。

魚住為楽(初代) うおずみ-いらく

1886-1964 昭和時代の鋳金家。
明治19年12月20日生まれ。仏具製作をする一方,鈴(りん)などの鳴物(なりもの)鋳造を研究。のち独学で銅鑼(どら)作りをはじめる。昭和11年第1回帝展に出品し,以後銅鑼の制作に専念。30年人間国宝。昭和39年7月15日死去。77歳。石川県出身。本名は安太郎。代表作に「雲ノ井」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「魚住為楽」の解説

魚住 為楽 (うおずみ いらく)

生年月日:1886年12月20日
昭和時代の鋳金家
1964年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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