鳥井村(読み)とりいむら

日本歴史地名大系 「鳥井村」の解説

鳥井村
とりいむら

[現在地名]大田市鳥井町鳥井

西用田にしもちだ村の北に位置し、日本海に臨む。半農半漁の村。西は邇摩にま静間しずま村。中世は鳥居とりい郷とよばれた。正保国絵図鳥居村とみえ、高四〇〇石余。元禄一〇年(一六九七)石見銀山領村々覚によると田方三二六石余・畑方七四石余、年貢高は米一二三石余・銀五三四匁余。当村は早くから沿岸漁業に取組み、船役六分・水夫一人役九匁などが課されている。家数は本家六四・門屋八〇、人数六四五。四町九反ほどの御立山があった。宝永石見国郷村帳では高四〇五石余。かさはな岬に抱かれた鳥井浦は古来天然の良港として利用され、鳥井船表番所が置かれた。銀山方役人一人を常駐させ役銀の徴収と交通の取締にあたらせた。

鳥井村
とりいむら

[現在地名]三原町八木笶原鳥井やぎやはらとりい

上八木かみやぎ村の西の平地にある。成相なりあい川が東端を北西流し、福良ふくら街道が南東から北西へ通る。村名は馬廻うままわり村成相寺の鳥居が当村域にあることによる。鳥居村とも記された。近世初期には藪田やぶた村と称され(元禄郷帳)、天正一四年(一五八六)一一月三日の淡路国御蔵入目録にみえる「やぶ田」は当村辺りに比定され、「のわら」とともで二〇〇石九斗が羽柴秀吉の蔵入地となっていた。正保国絵図には藪田村とあり、高一六〇石余。天保郷帳では鳥井村で高一八六石余。反別戸数取調書によると反別二一町五反余、高二一〇石余、うち蔵入高二三四石余・給知高二六石余。給人は岩田弥一兵衛ら五人。ほかに池守役山口甚左衛門拝領三反、徳野とくの笶原やはら明神供料一斗余があった。

鳥井村
とりいむら

[現在地名]津和野町高峯たかみね名賀なよし

山入やまいり村の西、中原なかばら村の北、津和野川右岸に合流する鳥井川の氾濫原と同川上流域の山地に立地。明治四年(一八七一)の万手鑑によれば古高八六石余、寛永一四年(一六三七)の検地高一一八石余、明治四年の総高一四九石余・反別二四町八反余、家数二二(うち本百姓二一)・人数九九(うち本百姓九六)、牛一二、米蔵一、紙漉舟二一、鉄砲七。

鳥井村
とりいむら

[現在地名]鯖江市鳥井町

日野川の支流吉野瀬よしのせ川の西岸に位置し、南は下司げし村に接する。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図の丹生北郡中に「鳥居村」(高二七三・七三五石)と記す。正保郷帳では鳥井村とあり、田方二二二石余・畠方五一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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