鳥羽庄(読み)とばのしよう

日本歴史地名大系 「鳥羽庄」の解説

鳥羽庄
とばのしよう

近世の上・下鳥羽村を中心に、塔森とうのもり(現南区)を含み、桂川に接する一帯と推察される。

この鳥羽の地が荘号を伴って史料上に現れる早い例は、鎌倉初期の「清眼抄」である。同書に引く「後清録記」に次のように記される。

<資料は省略されています>

これによれば、立荘時期は不明であるが一二世紀中葉には存在しており、しかも「鳥羽上庄」とみえるので既に鳥羽上・下庄に分化していたらしいことが知られる。以後、鎌倉・南北朝期を通じては不詳だが、室町時代には御前落居奉書として、永享二年(一四三〇)の室町幕府奉行人連署奉書が認められる。


鳥羽庄
とばのしよう

現上中町大鳥羽おおとばを含んだ地域にあった荘園。寛元元年(一二四三)一一月二五日付六波羅裁許状(東寺百合文書)に荘名がみえる。この裁許状は太良たら(現小浜市)地頭と百姓歓心らとの訴訟に関するものであるが、「鳥羽庄同有此訴訟之時、去文暦二年問注之後、即被停止了」などとみえ、当庄も承久年間(一二一九―二二)若狭忠季地頭職に還補された九ヵ所の一で、地頭側の新儀非法をめぐる紛争渦中にあったらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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