鴨村(読み)かもむら

日本歴史地名大系 「鴨村」の解説

鴨村
かもむら

[現在地名]坂出市加茂町かもちよう

氏部うじべ村の東に位置し、あや川が流れる。賀茂加茂とも書く。東は阿野あや郡南の国分こくぶ(現綾歌郡国分寺町)、南は同府中ふちゆう村。丸亀街道が通る。古代の阿野郡鴨部かも(和名抄)の遺称地で、条里遺構がよく認められる。式内社鴨神社の鎮座地。建長六年(一二五四)一〇月二八日の「賀茂御祖皇太神宮御幸記」に、後嵯峨上皇が前年の二月に賀茂御祖かもみおや(京都下鴨神社)領として寄進した讃岐国鴨郷を、同社禰宜祐俊の子孫相伝とすべき旨宣旨が下されたとある。「賀茂社諸国神戸記」には、讃岐国鴨部庄としてその割注に、寒川さんがわ郡と阿野郡にそれぞれ鴨部郷があって鴨部庄の所在地をいずれとも決めかねるように記しているが、同記に載せる弘安一〇年(九年の誤り、一二八六)閏一二月六日の宣旨案によると、京都賀茂別雷かもわけいかずち社司らが鴨御祖社領鴨部庄の例にならって、阿野郡氏部郷を別雷社領として立庄するよう申請しているから、氏部郷に隣接する鴨部郷をもって当庄の所在地としてよいであろう。


鴨村
かもむら

[現在地名]高島町鴨

鴨川下流部に沿い、南は永田ながた村。中央部の宿鴨しゆくがも本郷とし、鴨川北の北鴨きたがもや南鴨・出鴨でがもの枝郷からなっていた。このうち南鴨は郷帳類では独立村としても扱われた。京都下鴨社領であったための地名と思われる。元徳三年(一三三一)九月日の明王院所当並散在年貢注文(葛川明王院史料)によれば、高島田中たなか(現安曇川町)にある葛川明王かつらがわみようおう(現大津市)灯明田から納められる所当米のうち六斗は、「賀茂庄」内一反の地から出されていた。応永二一年(一四一四)一二月三日の兼祐田地売券(朽木文書)では、鴨庄内公文くもん名五条七里九坪の田地一反余が売渡されている。そのほか朽木文書中の売券から鴨庄は五条五里から七里、六条五里から七里にわたっていたとみられる。明応三年(一四九四)六月一七日には鴨庄のことにつき勅裁を求めていた寺家宰相(山本坊)が、蘇合円などをもって山科言国を訪ねている。


鴨村
かもむら

[現在地名]深浦町北金ヶ沢きたかねがさわ

北は日本海に面し、道路が海岸沿いに発達し、東は金井ヶ沢かねいがさわ村、西は田野沢たのさわ村へ通じる。

天正一三年(一五八五)に鴨村とみえ(津軽歴代記類)、天和元年(一六八一)の村書上絵図に加茂村とあり家数二一という(折曾乃関)。「深浦町史」では三一軒の誤りかとある。金井ヶ沢村の支村かどうかは不明。貞享四年(一六八七)検地で鴨漁師新田を鴨村に改めたというが(津軽平野開拓史)、同年の検地帳では鴨村は金井ヶ沢村の支村で、畑方七反五畝一歩、村高五・六三四石、うち屋敷は六反二畝二二歩、中畑が一反二畝九歩、〇・六一五石とだけあり、田圃はなくほとんど屋敷のみで、生活は漁業に依存したと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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