日本歴史地名大系 「加茂村」の解説
加茂村
かもむら
吉野川南岸に位置し、東は
近世初頭は加茂村と
加茂村
かもむら
町づくりは舟の繋場であり漁師町でもあった港北側の
加茂村
かもむら
- 新潟県:両津市
- 加茂村
加茂湖岸北西部に位置する。北は
寛永(一六二四―四四)頃から村の後方台地上に
加茂村
かもむら
文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に賀茂村とみえ、高四五〇石。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳などによると山田組に属し、旗本天野領高一八〇石、同井戸領高一六〇石、同揖斐領高六〇石。揖斐氏は慶長七年(一六〇二)からの知行と考えられ幕末に至る。
加茂村
かもむら
- 兵庫県:川西市
- 加茂村
栄根村の南、
加茂村
かもむら
天正一六年(一五八八)
加茂村
かもむら
- 徳島県:阿南市
- 加茂村
加茂村
かもむら
- 兵庫県:三田市
- 加茂村
加茂村
かもむら
加茂村
かもむら
加茂村
かもむら
加茂村
かもむら
加茂村
かもむら
加茂村
かもむら
加茂村
かもむら
- 福井県:小浜市
- 加茂村
加茂村
かもむら
加茂村
かもむら
慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦後、旗本高松花房領となったと推定され、元和三年(一六一七)花房(榊原)職直が父の遺領のうち都宇郡内で一千石を分知され、当村を分割統治(「寛政重修諸家譜」など)、寛永一五年(一六三八)の花房領徳米目録(花房文書)では鴨村とあって高一千石、徳米六六五石余とある。
加茂村
かもむら
加茂村
かもむら
加茂村
かもむら
- 石川県:加賀市
- 加茂村
加茂村
かもむら
加茂村
かもむら
加茂村
かもむら
加茂村
かもむら
加茂村
かもむら
- 千葉県:市原市
- 加茂村
加茂村
かもむら
加茂村
かもむら
- 千葉県:市原市
- 加茂村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報