鶴岡 政男
ツルオカ マサオ
昭和期の洋画家 NOVA美術協会同人。
- 生年
- 明治40(1907)年2月16日
- 没年
- 昭和54(1979)年9月27日
- 出生地
- 群馬県高崎市
- 学歴〔年〕
- 太平洋画会研究所〔昭和3年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 日本美術展優秀賞(第7回)〔昭和38年〕「夜の祭典」,現代美術展佳作賞(第6回)〔昭和38年〕,日本国際美術展国立近代美術館賞(第8回)〔昭和40年〕「青いカーテン」
- 経歴
- 大正11年15歳で太平洋画会研究所に入ったが、保守的な所風に反抗してストライキをし、除名となる。昭和10年NOVA美術協会同人となったあとは喫茶店での展観を続ける。その間、7年ごろ左翼運動に参加したが失望し、12年日中戦争に応召。戦争中の18年靉光、麻生三郎、糸園和三郎、井上長三郎、大野五郎、寺田政明、松本竣介と8人で新人画会を結成した。20年3月の東京大空襲で作品をほとんど焼失。戦後、自由美術展を舞台に活躍し、24年には戦中・戦後の非人間的な状況と体験を形象化した記念碑的作品「重い手」を発表する。以後、ユーモラスながら人間存在を鋭く風刺した作風へと進んだ。代表作に「死の静物」「凶作」「落下する人体」「夜の祭典」「青いカーテン」」「人間気化」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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鶴岡政男
つるおかまさお
(1907―1979)
洋画家。群馬県生まれ。太平洋画会研究所に入り、昭和初め一九三〇年協会展に出品、洪原会、NOVA(ノバ)美術協会の会員として活躍、また第二次世界大戦末期に同志と新人画会を結成する。1947年(昭和22)自由美術家協会の会員となる。第2回サンパウロ・ビエンナーレ展出品。第7回日本国際美術展で優秀賞、第8回展に『青いカーテン』を出品、東京国立近代美術館賞を受け、翌66年の現代日本美術展で神奈川県立近代美術館賞を受賞。
[小倉忠夫]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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鶴岡政男 つるおか-まさお
1907-1979 昭和時代の洋画家。
明治40年2月16日生まれ。太平洋画会研究所でまなぶ。洪原会,NOVA美術協会で活動し,昭和18年松本竣介,靉光(あいみつ)らと新人画会を結成した。戦後は自由美術家協会会員。29,41年現代日本美術展,38,40年日本国際美術展で受賞。昭和54年9月27日死去。72歳。群馬県出身。代表作に「重い手」「青いカーテン」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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鶴岡政男【つるおかまさお】
画家。群馬県生れ。1922年太平洋画会研究所に学ぶ。1930年NOVA美術協会結成。1937年応召し中国出征。1947年自由美術家協会会員。LSDによる実験制作なども行った。現実風刺から幾何学的抽象まで,画風の幅は広い。1979年群馬県立近代美術館で個展。代表作《重い手》《夜の群像》。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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鶴岡 政男 (つるおか まさお)
生年月日:1907年2月16日
昭和時代の洋画家
1979年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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