日本歴史地名大系 「麻続郷」の解説
麻続郷
おうみごう
麻続郷
おみごう
「和名抄」東急本・高山寺本ともに訓を欠く。同書の信濃国伊那郡・更級郡の麻続郷には「乎美」の訓が付されているので、これに準じて訓じておく。「麻続」は本来「麻績」と書き、麻の繊維から糸を作る作業をいい、当郷の名もこうした麻の加工作業に従事した集団が居住したことに由来すると思われる。「延喜式」民部省では、下野国の年料別貢雑物として麻紙一〇〇張と麻子三斗を記し、同書中務省内記の項によれば、これらの麻紙は位記を書く料紙に利用されるが、こうした麻製品の生産は、当郷との関連が推測されよう。「続日本紀」延暦元年(七八二)五月三日条には、安蘇郡の主帳若麻続部牛養が軍粮を献じた功で外従五位下に叙せられたことが記されている。
麻続郷
おみごう
「和名抄」高山寺本には「麻続」と記し、流布本には「麻績」と記し、両書とも「乎美」と訓じている。「をみ」と称したことは明らかである。その地域を確定する直接の史料はないが、「伊呂波字類抄」や「善光寺縁起」(金沢文庫本)などが、推古天皇の時信濃国人若麻績東人(本田善光)が、百済伝来の三尊阿弥陀仏を負うて、信濃国に下着、ひとまず伊那郡宇治村麻績の里の草堂に安置したと記していることから、善光寺にからめてその所在を肯定している。その点で「下伊那郡史」は、「これらの記録の性質上全部を肯定することはできないが、飯沼と座光寺は小川一筋を隔てた地続きであることから、この麻績郷というのは、今の
麻続郷
おみごう
麻続郷
おうみごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報