改訂新版 世界大百科事典 「黄文本実」の意味・わかりやすい解説
黄文本実 (きぶみのほんじつ)
7世紀後半から8世紀初め(白鳳時代)の画家,技術者。生没年不詳。黄書本実とも記す。天智,天武,持統,文武の4代にわたり宮廷に仕え,従五位下に上る。《日本書紀》《続日本紀》によれば671年(天智10)水臬(みずはかり)を献じ,694年(持統8)鋳銭司に任ぜられた。702年(大宝2)の持統天皇,707年(慶雲4)の文武天皇の両帝崩御に当たり,殯宮司を務め,さらに同年装束司となった。薬師寺蔵《仏足石碑》銘によれば,唐の王玄策が中天竺で転写した仏足石図を日本使人黄書本実が唐普光寺で再転写し請来したという。黄文姓を名のる画師は史書に散見するが,604年(推古12)に山背(やましろ)画師と共に黄文画師を定めたことに始まる(《日本書紀》《聖徳太子伝暦》)。683年(天武12)には黄文造が連(むらじ)姓を賜り,奈良時代になると758年(天平宝字2)の《画工司移》に記された黄文連乙万呂などの名が見える。《新撰姓氏録》(815)によれば黄文連は高麗国人とあり,高句麗出身で,先進的な技術や画技を家業とした一族と考えられる。
執筆者:百橋 明穂
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報