龔賢(読み)きょうけん(英語表記)Gōng Xián

改訂新版 世界大百科事典 「龔賢」の意味・わかりやすい解説

龔賢 (きょうけん)
Gōng Xián
生没年:1619-89

清代初期の画家。字は半千。号は半畝(はんぽ),野遺,柴丈人など。江蘇省崑山の人であるが,早くに金陵(南京)に移り住んだ。明の滅亡後江蘇省泰州,揚州遍歴して詩人を志した。1664年(康熙3)に南京に帰り,清涼山下の半畝園に住んだ。明の遺民のみと交際し,潤筆を重ねた独特の画法により寂寥無人の山水をかき,〈前に古人なく,後に来者なし〉と自称した。詩集《草香堂集》の抄本が近年発見されており,画論に《画訣(がけつ)》がある。代表作は《千巌万壑(せんがんばんがく)図》(チューリヒ,C. ドレノバツ蔵)ほか。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「龔賢」の意味・わかりやすい解説

龔賢
きょうけん
(?―1689)

中国、清(しん)代初期の画家。生年一説では1599年。字(あざな)を半千または野遺(やい)といい、半畝(はんぽ)、柴丈人などと号した。金陵(南京(ナンキン)。明(みん)朝建国の地)に清初に在住した8人の画家、いわゆる金陵八家(龔賢、樊圻(はんき)、高岑(こうしん)、鄒喆(すうてつ)、呉宏(ごこう)、葉欣(きん)、故慥(こぞう)、謝蓀)を代表する文人画家である。江蘇(こうそ)省崑山(こんざん)の人で、各地遍歴ののち、1669年(康煕8)ころ南京郊外の清涼山の麓(ふもと)に半畝園を営み、作物をつくって住み、90歳近くまで生きた。清朝に対する反抗の意志を絵筆に託した明の遺民画家の一人として、孤高精神をもって清貧に甘んじながら、抽象山水ともいえるきわめて個性的な山水画を描いた。

[星山晋也]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「龔賢」の意味・わかりやすい解説

龔賢
きょうけん
Gong Xian

[生]?
[没]康煕28(1689)
中国,清の文人画家。崑山 (江蘇省) の人。名は豈賢,字は半千,野遺,号は柴丈人,半畝。明滅亡後各地を遍歴,のち金陵 (南京) 清涼山下に移り,貧困のうちに詩文書画を制作。個性的な画家として早くから名を揚げ,金陵八家の中心となった。伝統画法を無視したような強い墨法と,一種の孤愁を漂わせる山水画を得意とした。代表作『山水画冊』 (泉屋博古館) ,『山水図』 (スイス,ドレノワッツ家) 。著書に『画訣』がある。

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世界大百科事典(旧版)内の龔賢の言及

【金陵八家】より

…中国,清代初期に金陵(南京)で活躍した8人の画家。一般には張庚《国朝画徴録》にいう龔賢(きようけん),葉欣(しようきん),胡慥(こぞう),謝蓀(しやそん),樊圻(はんき),高岑(こうしん),鄒喆(すうてつ),呉宏。前4者の代りに,陳卓,蔡霖滄(さいりんそう),李又李(りゆうり),武丹を入れる周亮工の説もある。…

※「龔賢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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