山王山城跡(読み)さんのうざんじようあと

日本歴史地名大系 「山王山城跡」の解説

山王山城跡
さんのうざんじようあと

[現在地名]大原町古町

大原神社境内の裏山にある中世の山城。小原おはら城ともいう。標高三五五メートルの地に山王山城跡の石碑がある。「東作誌」によれば本丸のほか二段の段築があり、厩郭・帯郭・堀切などがみられた。康安元年(一三六一)七月山名氏の美作侵攻の際、「小原ノ城」には小原孫次郎入道がいたが、一矢も交えぬうちに降参している(「太平記」巻三六)。康正二年(一四五六)赤松氏の一族宇野家貞が当城を再建し、小原城と称したという。


山王山城跡
さんのうざんじようあと

[現在地名]神辺町湯野

山王山にあり、高屋たかや川を挟んで神辺城跡のある紅葉こうよう山に対する。「福山志料」は城主を宮次郎左衛門尉景則とし「一本古城記ニ云、天文年中此所ヘ移リ山名忠興ノ為ニ攻落サレシト云」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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