古賀春江(読み)コガハルエ

デジタル大辞泉 「古賀春江」の意味・読み・例文・類語

こが‐はるえ【古賀春江】

[1895~1933]洋画家福岡の生まれ。本名亀雄よしおで、後に僧籍に入り良昌と改名キュビスムから出発クレーふうの詩的幻想画を経て、晩年シュールレアリスム傾向を強めた。

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精選版 日本国語大辞典 「古賀春江」の意味・読み・例文・類語

こが‐はるえ【古賀春江】

  1. 洋画家。福岡県出身。日本水彩画研究所に学び、のち二科会会員となる。幻想的な画風から、晩年、超現実派の傾向を示した。代表作埋葬」「素朴な月夜」。明治二八~昭和八年(一八九五‐一九三三

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20世紀日本人名事典 「古賀春江」の解説

古賀 春江
コガ ハルエ

大正・昭和期の洋画家,詩人



生年
明治28(1895)年6月18日

没年
昭和8(1933)年9月10日

出生地
福岡県久留米

本名
古賀 良昌

別名
初名=古賀 亀雄(コガ ヨシオ)

学歴〔年〕
宗教大学(現・大正大学)〔大正7年〕中退

主な受賞名〔年〕
二科賞(第9回)〔大正11年〕「埋葬」「二階より」

経歴
浄土宗の寺の生まれ。明治45年上京太平洋画会研究所・日本水彩画会研究所で石井柏亭らに師事。水彩画壇で活躍、のち油絵に転じ、大正6年二科展に「鶏小屋」が初入選。11年前衛集団・アクション結成。同年「埋葬」などで第9回二科賞を受け一躍脚光を浴びた。これをきっかけに作風も変り、クレーの影響を受けたメルヘン風の幻想画から、ついでシュールレアリスムの傾向を深め、東郷青児、児島善三郎らと“絵画に生きる新感覚派”といわれた。昭和4年二科展会員。アヴァン・ガルド洋画研究所を主宰した。他の代表作に「海」「夏山」「煙火」「素朴な月夜」など。平成4、8年回顧展。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「古賀春江」の意味・わかりやすい解説

古賀春江
こがはるえ

[生]1895.6.18. 福岡,久留米
[没]1933.9.10. 東京
洋画家。福岡県久留米市の善福寺住職長男。本名は亀雄(よしお)。春江通称。1912年上京して太平洋画会研究所に通い,翌 1913年には日本水彩画会研究所に入り,石井柏亭に師事。一時僧籍に入り大正大学に入学したが,中退して画作を続け日本水彩画会会員となった。1922年二科展(→二科会)で二科賞を受け,同年中川紀元,浅野孟府ら同志 13人と洋画団体「アクション」を組織して,前衛美術の活動を始めた。1930年二科会会員。作品は初期の立体派風(→キュビスム)からパウル・クレーの影響を受けた抒情的,童話的な詩情あふれる作風を経て,ジョルジョ・デ・キリコ風のシュルレアリスムへと変化,日本における超現実主義の先駆者となったが,38歳で早世した。主要作品に『海』(1920),『素朴な月夜』(1929),『窓外の化粧』(1930),『深海の情景』(1933)。

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改訂新版 世界大百科事典 「古賀春江」の意味・わかりやすい解説

古賀春江 (こがはるえ)
生没年:1895-1933(明治28-昭和8)

洋画家。福岡県久留米市の善福寺の長男として生まれた。本名亀雄(よしお)。中学時代から絵を習い,1912年中学を退学して上京,太平洋画会研究所,日本水彩画研究所に入った。16年から2年間大正大学に通ったが,かたわら作画を続け,思索的な性格から新興絵画の表現主義に興味をもつようになった。22年第9回二科展に出品の《埋葬》で二科賞を受賞。同年には前衛グループ〈アクション〉の結成にも参加し,以後二科展を中心に前衛的な作品を発表し続けたが,38歳で病死した。比較的短い作画期間に,キュビスム,表現主義風,アンドレ・ロートの影響,クレー風の童話的幻想様式,シュルレアリスム風というように,多くの新しい芸術思潮から影響を受けた作品を制作し,また絵画作品と対応するような多くの詩を創作,シュルレアリスムに関する論文も発表した。代表作には《煙火》《深海の情景》など。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「古賀春江」の意味・わかりやすい解説

古賀春江
こがはるえ
(1895―1933)

大正後期から昭和初期の前衛洋画家。明治28年6月18日、福岡県久留米(くるめ)市の善福寺住職の長男として生まれる。本名亀雄(よしお)。1912年(大正1)上京して太平洋画会研究所に学び、翌年日本水彩画研究所に入り石井柏亭(はくてい)に師事する。15年僧籍に入り良昌と改名し、呼び名を春江とする。翌年宗教大学(大正大学の前身)に入学するが、病気で中退して画作に専念し、日本水彩画会会員となる。22年二科会に『埋葬』ほかを出品、二科賞を受けて注目され、同年中川紀元(きげん)ら二科会の若手前衛作家と「アクション」を結成し、キュビスム系の作品を発表した。26年二科会会友となり、このころからクレーの影響を受け詩的幻想画風に移っていく。さらにデ・キリコ、エルンストらを取り入れて、29年(昭和4)の二科展に出品した『海』『素朴な月夜』などにみるシュルレアリスム画風を確立するに至った。同年二科会会員となる。新感覚の詩作を試み、晩年は川端康成(やすなり)と親交があった。昭和8年9月10日没。

[小倉忠夫]

『中野嘉一著『古賀春江――芸術と病理』(1977・金剛出版)』

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百科事典マイペディア 「古賀春江」の意味・わかりやすい解説

古賀春江【こがはるえ】

洋画家。寺の住職の長男として福岡県久留米市に生まれる。上京して太平洋画会研究所,日本水彩画研究所で学び,1922年《埋葬》で二科賞を受賞。同年中川紀元ら前衛画家と〈アクション〉を結成。表現主義クレーシュルレアリスムなどの影響を受けた特異な作風で知られる。代表作《海》《素朴な月夜》。
→関連項目神奈川県立近代美術館福岡県美術館

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古賀春江」の解説

古賀春江 こが-はるえ

1895-1933 大正-昭和時代前期の洋画家。
明治28年6月18日生まれ。日本水彩画会研究所などでまなぶ。二科展に出品し,大正11年「埋葬」で二科賞。画風はキュビスムから詩的で幻想的な傾向をへて超現実主義へと移行した。昭和8年9月10日死去。39歳。福岡県出身。本名は亀雄(よしお)。作品に「煙火」「素朴な月夜」など。

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367日誕生日大事典 「古賀春江」の解説

古賀 春江 (こが はるえ)

生年月日:1895年6月18日
大正時代;昭和時代の洋画家
1933年没

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世界大百科事典(旧版)内の古賀春江の言及

【キュビスム】より

抽象芸術 日本におけるキュビスムの受容は1915年ごろに始まり,東郷青児,万鉄五郎らの作品にまずその反映がうかがえる。20年代に入ると,矢部友衛,古賀春江,黒田重太郎,川口軌外,坂田一男と,なんらかの形でキュビスムあるいはそれに類する様式を取り入れる画家はその数を増し,ひとつの流行の観を呈した。しかし彼らはキュビスムと未来派,あるいはキュビスムから派生したピュリスムや抽象的傾向を厳密に識別していたわけではなく,またそれぞれの理念を理解していたわけでもなかった。…

※「古賀春江」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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