野口弥太郎(読み)ノグチヤタロウ

デジタル大辞泉 「野口弥太郎」の意味・読み・例文・類語

のぐち‐やたろう〔‐やタラウ〕【野口弥太郎】

[1899~1976]洋画家東京の生まれ。二科会を経て独立美術協会会員。芸術院会員。川端画学校に学んだのち、渡仏してサロンドートンヌ出品。「那智の滝」で芸術選奨。他の作品に「セビラの行列」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「野口弥太郎」の意味・わかりやすい解説

野口弥太郎
のぐちやたろう
(1899―1976)

洋画家。東京生まれ。小・中学時代を長崎、神戸で過ごし、1921年(大正10)上京して川端(かわばた)画学校に学ぶ。29~33年(昭和4~8)滞仏、サロン・ドートンヌほかに出品。帰国の年二科会会友を辞して、独立美術協会の会員となる。64年『セビラの行列』で第5回毎日芸術賞を、71年『那智(なち)の瀧(たき)』で芸術選奨文部大臣賞を受け、75年には日本芸術院会員となった。さわやかな彩調と流動感に満ちた作風で、その他の代表作に『巴里(パリ)の眺め』などがある。

[小倉忠夫]

『土方定一文『野口弥太郎画集』(1983・日動出版部)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野口弥太郎」の意味・わかりやすい解説

野口弥太郎
のぐちやたろう

[生]1899.10.1. 東京
[没]1976.3.23. 鎌倉
洋画家。 1921年川端画学校で藤島武二に学ぶ。 22~29年二科展に出品。この間 26年に一九三〇年協会会員となる。 29年渡仏し,サロン・ドートンヌ,アンデパンダン展などに出品。 33年帰国,独立美術協会に加入し,フォービスム風の軽快な筆致の作品を発表した。 75年日本芸術院会員。主要作品『ベルクール広場』 (1931,東京国立近代美術館) ,『踏絵』 (56,同) ,『セビラの行列』 (63,神奈川県立近代美術館) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野口弥太郎」の解説

野口弥太郎 のぐち-やたろう

1899-1976 大正-昭和時代の洋画家。
明治32年10月1日生まれ。川端画学校にまなぶ。昭和4年フランスにわたり,サロン-ドートンヌに出品。帰国後,独立美術協会会員となる。27年日大教授。48年「那智(なち)の滝」で芸術選奨。50年芸術院会員。昭和51年3月23日死去。76歳。東京出身。関西学院中学部卒。作品に「セビラの行列」など。

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世界大百科事典(旧版)内の野口弥太郎の言及

【明治・大正時代美術】より

…里見勝蔵(1895‐1981),前田寛治,佐伯祐三らがそうであり,彼らは木下孝則(1895‐1973),小島善太郎(1892‐1984)と一九三〇年協会を結成する。26年の第1回展には,古賀春江,野口弥太郎(1899‐1976),林武,林重義(1896‐1944),川口軌外(きがい)(1892‐1966),木下義謙(1898‐1996),宮坂勝(1895‐1953),中野和高(1896‐1965),中山巍(たかし)(1893‐1978),伊原宇三郎(1894‐1976),福沢一郎,長谷川利行,靉光ら,昭和期に活躍する青年画家が多く集まった。しかし一九三〇年協会は第5回展をもって終わり,その継続ともいえる独立美術協会が結成されて,31年第1回展が開かれる。…

※「野口弥太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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