ミレー(読み)みれー(英語表記)Edna St. Vincent Millay

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミレー」の意味・わかりやすい解説

ミレー(Jean-François Millet)
みれー
Jean-François Millet
(1814―1875)

フランスの画家。10月4日、ノルマンディーの小村グリュシーに生まれる。農民の子でありながら、ウェルギリウステオクリトスなどのラテン文学に親しみ、1833年シェルブールに出て絵を学んだ。37年には市の奨学金を得てパリに出、しばらくはポール・ドラローシュに師事。40年のサロンに肖像画が1点入選、以後、数多くの肖像画を手がけるとともに牧歌的情景を描いた。やがてプサンミケランジェロに対する崇敬の念を強め、46年ごろからより力強い手法で、宗教的・神話的主題や裸婦像、そして農村の風俗を描くようになった。48年、二月革命後の無審査のサロンに出品した『箕(み)をふるう人』(焼失。現ルーブル美術館のものはレプリカ)は、ヒロイックな農民の姿を描く画家としてのミレーを決定づけることになり、以後、農民の主題があらゆる主題にとってかわる。翌49年、政府から作品制作の依頼を受け、その報酬でバルビゾンに移住し、残りの生涯をこの地で過ごすことになる。生存のための苦しい労働を描こうとするミレーの姿勢は、農村の人口が都市に大量に流出し、農村が荒廃する時代を反映するものであった。しかし彼は、ブルジョア批評家が考えたような急進的な社会主義者などではなく、いわば宿命論者であった。60年代以降しだいに風景画に専念するようになる。67年レジオン・ドヌールを叙勲さる。75年1月20日、バルビゾンに没。代表作に『落穂拾い』『晩鐘』『羊飼いの少女』『春』(以上ルーブル美術館)、『種をまく人』(ボストン美術館)などがある。なお、甲府市山梨県立美術館には『種をまく人』(別作)をはじめ油彩版画など30点が収蔵されている。

[大森達次]

『ロマン・ロラン著、蛯原徳夫訳『ミレー』(1939・岩波書店)』『飯田祐三解説『ミレー画集』(1979・講談社)』『高階秀爾編著『25人の画家4 ミレー』(1981・講談社)』


ミレー(Edna St. Vincent Millay)
みれー
Edna St. Vincent Millay
(1892―1950)

アメリカの女流詩人。メーン州ロックランド生まれ。1912年に『ルネサンス』を発表して有名になる。第一次世界大戦後は初期の叙情的、ロマンチック傾向から転じ、倦怠(けんたい)、冷笑の感情を盛りながらも明るさを失わない詩風で人気があった。劇作も数編ある。とくに短詩やソネット(14行詩)に優れ、『あざみの果』(1920)、ピュリッツァー賞受賞作『ハープを作る人』(1923)、『ソネット集』(1941)などがある。

[松山信直]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミレー」の意味・わかりやすい解説

ミレー
Millet, Jean François

[生]1814.10.4. グレビル近郊グリュシー
[没]1875.1.20. バルビゾン
フランスの画家。農家の長男として生れ少年時代農業を手伝った。 19歳から絵の修業を始めて 1835年父の死で中止したが,36年シェルブールで再び絵を学び,37年奨学金を得てパリに行き P.ドラロッシュに師事した。またルーブル美術館で H.ドーミエや N.プーサンの作品を研究。初期には神話画,風俗画,肖像画を制作していたが,48年のサロン出品作『籾 (もみ) をふるう人』 (ロンドン,ナショナル・ギャラリー) において,彼の基本的な画題となった「農民」が初めて出現する。 49年パリから小村のバルビゾン (→バルビゾン派 ) に移住,T.ルソーや C.コローと親交を結ぶ。貧困とたたかいながら真摯な態度で農民生活に取材した一連の作品を制作し,独特の詩的情感とメランコリックな雰囲気の漂う作風を確立した。 68年レジオン・ドヌール勲章受章。 74年政府からパンテオンの礼拝堂に装飾画の注文を受けたが,着手しないうちに病没。素描やパステル画も残した。主要作品『種をまく人』 (1850,ボストン美術館,山梨県立美術館) ,『落穂拾い』 (57,オルセー美術館) ,『晩鐘』 (59,同) 。

ミレー
Millay, Edna St. Vincent

[生]1892.2.22. メーン,ロックランド
[没]1950.10.19. ニューヨーク,オーステリッツ
アメリカの女流詩人,劇作家。抒情詩『再生』 (1912) によって認められ,1917年には最初の詩集『再生その他』 Renascence and Other Poemsを出版。同年バッサー女子大学を卒業し,ニューヨークに出てプロビンスタウン劇団に加わり,女優として舞台に立ち,『王女と小姓との結婚』 The Princess Marries the Page (18) などの戯曲を書いた。『2度目の4月』 Second April (21) ,『竪琴をつくる者』 The Harp Weaver (23,ピュリッツァー賞) で抒情詩人としての地位を確立し,その後『真夜中の会話』 Conversation at Midnight (37) など多くの詩集を出した。死後に『全詩集』 Collected Poems (57) ,『書簡集』 Letters (52) が出版された。

ミレー
Millais, Sir John Everett, Baronet

[生]1829.6.8. サウサンプトン
[没]1896.8.13. ロンドン
イギリスの画家,挿絵画家。 1838年ロンドンに出て 40年に 11歳でロイヤル・アカデミー・スクールに入学し,在学中にアカデミーのすべての賞を獲得。 48年友人 D.ロセッティ,W.ハントらとともにラファエル前派の運動を起し,新鮮な自然観照に基づく精緻な画風を展開。この時期の主要作品は『大工の仕事場のキリスト』 (1850,ロンドン,テート・ギャラリー) ,『オフィーリア』 (52,同) ,『盲目の少女』 (56,バーミンガム市立美術館) 。その後も多くの肖像画,歴史画,風俗画を制作したが,63年頃から作風は次第にアカデミックな傾向を強めた。 85年男爵,96年ロイヤル・アカデミー総裁。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android