ミレー(その他表記)Jean-François Millet

デジタル大辞泉 「ミレー」の意味・読み・例文・類語

ミレー(John Everett Millais)

[1829~1896]英国の画家。ラファエル前派の結成に参加。のち、ロイヤルアカデミー会長。作「オフェーリア」など。ミレイ。

ミレー(Jean-François Millet)

[1814~1875]フランスの画家。バルビゾン派敬虔けいけんな信仰心と情愛に満ちた表現で農村生活を描いた。作「落穂拾い」「晩鐘」「種まく人」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ミレー」の意味・読み・例文・類語

ミレー

  1. [ 一 ] ( Jean François Millet ジャン=フランソワ━ ) フランスの画家。バルビゾン派の画家の一人。農村に住み、敬虔な信仰心と農民への情愛をもって、農村の風景・生活を描いた。代表作に「晩鐘」「落穂ひろい」。(一八一四‐七五
  2. [ 二 ] ( Edna St. Vincent Millay エドナ=セント=ビンセント━ ) アメリカの女流詩人。ソネット形式の抒情詩を書いた。詩集「竪琴を作る者」など。(一八九二‐一九五〇

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改訂新版 世界大百科事典 「ミレー」の意味・わかりやすい解説

ミレー
Jean-François Millet
生没年:1814-75

フランスの農民画家。ノルマンディー地方,シェルブール近くのグリュシーGruchyに生まれる。信心深く格式ある農家の,豊かではないが祖母,両親と8人の弟妹の愛情深い大世帯に育った。幼い頃から読書を好み,画才に優れていたため,長男で農家の主要な労働力であったにもかかわらず,結局シェルブールで絵を学ぶ許しを得,次いで1837年パリに出てドラローシュのアトリエにはいる。39年師のすすめでローマ賞に応募するが落選。40年に肖像画1点がサロン(官展)に初入選する。やがてシェルブール市の奨学金が切れて貧窮し,ロココ風の裸体画などを描いて暮らす。この時期の作品は,主題はブーシェやフラゴナール風の閨房画や牧歌的なものが多く,その手法はディアズDiaz de la Peña(1807-76)に直接影響を受けた柔らかな筆触と明暗のコントラストを用いたもので,〈華やかな手法manière fleurie〉と呼ばれる。この作品群は金のため自分のプライドを捨てて描いたと言われていたが,主題が農民画に移ったあとも,技法としてはかなり後まで引き続き用いている。46年ころから労働する人々を主題に描くようになり,やがて49年コレラの流行で一家を連れてバルビゾンに移ってからは,ほとんど農民の働く姿のみを題材に選ぶようになる。同じ村に住んでいたT.ルソーとは親しい間柄となるが,ルソーが自然風景のみを描いたのに対し,ミレーは風景的要素を人間に従属させ,労働する人々のポーズを通じてその苦痛と,それに打ち勝つ人間の尊厳を描こうとした(バルビゾン派)。50年代後半から,人物たちは,より広いシャイイ・アン・ビエールChailly-en-Bièreの荒涼たる平原を背景に多くシルエットで描かれるようになり,そこには《晩鐘(アンジェラス)》(1859)のように宗教的雰囲気さえもうかがわれるようになる。また子だくさんであった彼は,家庭内における母と子の主題も描き,晩年にはしだいに風景画に関心を抱くようになり,戸外の光も研究した。ミレーの与えた影響はほとんどがその農民画という主題に限られている。クールベほど戦闘的に主題の革新性と,理想化しない写実性を追求したわけではなかったが,やはり彼も結果として農民生活の現実を包み隠さずに,積極的価値をこめて描いた点で,この時代の写実主義の流れの中で重要な位置を占める。労働を美化する態度と真摯な宗教心の表れである作品は,やがてその道徳面ばかりをたたえられ,欧米のみならず日本にまで大きな影響を与えた。そのセンチメンタルな面での模倣者は多かったが,造形的側面をも含めてゴッホが彼をたたえ,深い影響を受けた。
執筆者:


ミレー
John Everett Millais
生没年:1829-96

イギリスの画家。サウサンプトンに生まれ,ローヤル・アカデミー・スクールで史上最年少の生徒として,11歳の時から学ぶ。1848年ロセッティらとともに〈ラファエル前派〉を結成。53年ローヤル・アカデミーの準会員に選出され,事実上このグループを離脱。しだいにラファエル前派の理念から離れ,通俗的なスタイルへと移行する。表現は甘美で時に感傷的にすぎるが,上流社会の肖像画家として人気を得,この時代の最も成功した画家の一人となった。死の年に,ローヤル・アカデミーの会長に就任している。日本では初期の代表作《オフィーリア》が早くから知られ,夏目漱石の《草枕》も一部の着想を得ている。
執筆者:


ミレー
Edna St.Vincent Millay
生没年:1892-1950

アメリカの女性詩人。メーン州に生まれ,バッサー・カレッジ在学中に詩〈再生〉がアンソロジー《抒情詩選》(1912)に収録された。彼女の詩はソネットのような伝統的な形式によるものが多いが,新しい女性の自由で情熱的な感じがあふれている。詩集《再生》(1917)以降,《竪琴を作る人》(1923)でピュリッツァー詩賞を受けた。選詩集《抒情詩集》(1943)は,華やかな1920年代の記録といえよう。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミレー」の意味・わかりやすい解説

ミレー(Jean-François Millet)
みれー
Jean-François Millet
(1814―1875)

フランスの画家。10月4日、ノルマンディーの小村グリュシーに生まれる。農民の子でありながら、ウェルギリウステオクリトスなどのラテン文学に親しみ、1833年シェルブールに出て絵を学んだ。37年には市の奨学金を得てパリに出、しばらくはポール・ドラローシュに師事。40年のサロンに肖像画が1点入選、以後、数多くの肖像画を手がけるとともに牧歌的情景を描いた。やがてプサンやミケランジェロに対する崇敬の念を強め、46年ごろからより力強い手法で、宗教的・神話的主題や裸婦像、そして農村の風俗を描くようになった。48年、二月革命後の無審査のサロンに出品した『箕(み)をふるう人』(焼失。現ルーブル美術館のものはレプリカ)は、ヒロイックな農民の姿を描く画家としてのミレーを決定づけることになり、以後、農民の主題があらゆる主題にとってかわる。翌49年、政府から作品制作の依頼を受け、その報酬でバルビゾンに移住し、残りの生涯をこの地で過ごすことになる。生存のための苦しい労働を描こうとするミレーの姿勢は、農村の人口が都市に大量に流出し、農村が荒廃する時代を反映するものであった。しかし彼は、ブルジョア批評家が考えたような急進的な社会主義者などではなく、いわば宿命論者であった。60年代以降しだいに風景画に専念するようになる。67年レジオン・ドヌールを叙勲さる。75年1月20日、バルビゾンに没。代表作に『落穂拾い』『晩鐘』『羊飼いの少女』『春』(以上ルーブル美術館)、『種をまく人』(ボストン美術館)などがある。なお、甲府市の山梨県立美術館には『種をまく人』(別作)をはじめ油彩、版画など30点が収蔵されている。

[大森達次]

『ロマン・ロラン著、蛯原徳夫訳『ミレー』(1939・岩波書店)』『飯田祐三解説『ミレー画集』(1979・講談社)』『高階秀爾編著『25人の画家4 ミレー』(1981・講談社)』


ミレー(Edna St. Vincent Millay)
みれー
Edna St. Vincent Millay
(1892―1950)

アメリカの女流詩人。メーン州ロックランド生まれ。1912年に『ルネサンス』を発表して有名になる。第一次世界大戦後は初期の叙情的、ロマンチック傾向から転じ、倦怠(けんたい)、冷笑の感情を盛りながらも明るさを失わない詩風で人気があった。劇作も数編ある。とくに短詩やソネット(14行詩)に優れ、『あざみの果』(1920)、ピュリッツァー賞受賞作『ハープを作る人』(1923)、『ソネット集』(1941)などがある。

[松山信直]

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百科事典マイペディア 「ミレー」の意味・わかりやすい解説

ミレー

フランスの画家。ノルマンディーの農家に生まれ,給費生としてパリに出てドラローシュに学び,農民生活を主題とした絵を描いた。のちバルビゾンに住んでコロー,ディアズ,ルソーら風景画家と交友,バルビゾン派の一人となった。ここで描いた名作《種蒔く人》(1850年,ボストン美術館蔵),《落穂拾い》(1857年,オルセー美術館蔵),《晩鐘》(1857年―1859年,同美術館蔵)等はクールベドーミエを予告する写実主義と温かいヒューマニズムが混じり合った画風を生み出している。
→関連項目アンジェラスオルセー美術館山梨県立美術館

ミレー

英国の画家。ローヤル・アカデミーに学んだのち,ロセッティハントらとラファエル前派を結成。克明で写実的描写と感傷性を特徴とする。1855年ころラファエル前派を離れ,1896年ローヤル・アカデミーの会長となった。代表作は《両親の家のキリスト》(1849年―1850年,ロンドン,テート・ギャラリー蔵),《オフィーリア》(1851年―1852年,同ギャラリー蔵)など。

ミレー

米国の女性詩人,劇作家。詩《再生》(1912年)で注目され,同名詩集を1917年に刊行。グリニチ・ビレッジに住んで戯曲《アリア・ダ・カポ》などを書く。詩集《竪琴をつくる者》(1923年)など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミレー」の意味・わかりやすい解説

ミレー
Millet, Jean François

[生]1814.10.4. グレビル近郊グリュシー
[没]1875.1.20. バルビゾン
フランスの画家。農家の長男として生れ少年時代農業を手伝った。 19歳から絵の修業を始めて 1835年父の死で中止したが,36年シェルブールで再び絵を学び,37年奨学金を得てパリに行き P.ドラロッシュに師事した。またルーブル美術館で H.ドーミエや N.プーサンの作品を研究。初期には神話画,風俗画,肖像画を制作していたが,48年のサロン出品作『籾 (もみ) をふるう人』 (ロンドン,ナショナル・ギャラリー) において,彼の基本的な画題となった「農民」が初めて出現する。 49年パリから小村のバルビゾン (→バルビゾン派 ) に移住,T.ルソーや C.コローと親交を結ぶ。貧困とたたかいながら真摯な態度で農民生活に取材した一連の作品を制作し,独特の詩的情感とメランコリックな雰囲気の漂う作風を確立した。 68年レジオン・ドヌール勲章受章。 74年政府からパンテオンの礼拝堂に装飾画の注文を受けたが,着手しないうちに病没。素描やパステル画も残した。主要作品『種をまく人』 (1850,ボストン美術館,山梨県立美術館) ,『落穂拾い』 (57,オルセー美術館) ,『晩鐘』 (59,同) 。

ミレー
Millay, Edna St. Vincent

[生]1892.2.22. メーン,ロックランド
[没]1950.10.19. ニューヨーク,オーステリッツ
アメリカの女流詩人,劇作家。抒情詩『再生』 (1912) によって認められ,1917年には最初の詩集『再生その他』 Renascence and Other Poemsを出版。同年バッサー女子大学を卒業し,ニューヨークに出てプロビンスタウン劇団に加わり,女優として舞台に立ち,『王女と小姓との結婚』 The Princess Marries the Page (18) などの戯曲を書いた。『2度目の4月』 Second April (21) ,『竪琴をつくる者』 The Harp Weaver (23,ピュリッツァー賞) で抒情詩人としての地位を確立し,その後『真夜中の会話』 Conversation at Midnight (37) など多くの詩集を出した。死後に『全詩集』 Collected Poems (57) ,『書簡集』 Letters (52) が出版された。

ミレー
Millais, Sir John Everett, Baronet

[生]1829.6.8. サウサンプトン
[没]1896.8.13. ロンドン
イギリスの画家,挿絵画家。 1838年ロンドンに出て 40年に 11歳でロイヤル・アカデミー・スクールに入学し,在学中にアカデミーのすべての賞を獲得。 48年友人 D.ロセッティ,W.ハントらとともにラファエル前派の運動を起し,新鮮な自然観照に基づく精緻な画風を展開。この時期の主要作品は『大工の仕事場のキリスト』 (1850,ロンドン,テート・ギャラリー) ,『オフィーリア』 (52,同) ,『盲目の少女』 (56,バーミンガム市立美術館) 。その後も多くの肖像画,歴史画,風俗画を制作したが,63年頃から作風は次第にアカデミックな傾向を強めた。 85年男爵,96年ロイヤル・アカデミー総裁。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ミレー」の解説

ミレー
Jean François Millet

1814~75

フランスの画家。パリ近郊のバルビゾンに住み,農民画家として農村の質素な日常生活を情感豊かに描いた作品を残した。「晩鐘」や「落穂拾い」が有名。そうした自然主義的な風景画を描いた画家たちは,のちにバルビゾン派と呼ばれた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ミレー」の解説

ミレー
Jean François Millet

1814〜75
フランスの自然主義画家
パリに出て活動を開始したのち,1849年から郊外の農村バルビゾンに住み,貧しい生活を送りながら農村生活を描き,多くの傑作を残した。代表作は『種蒔く人』『落穂拾い』『晩鐘』。

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世界大百科事典(旧版)内のミレーの言及

【バルビゾン派】より

…名称は,パリの南東郊,フォンテンブローの森のはずれの村バルビゾンに由来する。T.ルソーは1847年より,ミレーは1849年よりこの村に定住し,ほかにジャックCharles Jacque(1813‐94),ドービニー,ディアズNarcisse Diaz de la Peña(1807‐76)らが長期ないし短期間住んで,ともに風景画の制作に励んだ。バルビゾン派の起源は,フランス国内ではG.ミシェル,バランシエンヌP.H.de Valenciennes,コローらの風景画が,構成された理想風景からしだいに離れて,自然観察をもとに現実の風景美をたたえるようになったこと,さらにはこのような流れをさかのぼると17世紀オランダの風景画があり,自国のありのままの自然をうたいあげるロイスダール,ホッベマ,ファン・オスターデらの作品が彼らを魅了したことが考えられる。…

※「ミレー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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