このようなAFL-CIOの停滞のなかで、保守的な執行部を批判し、積極的な組織化と労働運動の活性化を重視した「ニュー・ボイス」グループが影響を強めた。1995年のAFL-CIO会長選挙は初の競争選挙となり、「ニュー・ボイス」派の全米サービス従業員労働組合Service Employees International Union(SEIU)会長のジョン・スウィーニーJohn Sweeney(1934― )が会長に選ばれた。スウィーニー執行部は「組織率の上昇」を最大の課題とし、AFL-CIO本部に独立した組織局を設立するとともに、組織化に予算の30%をあてた。さらに、これまでの官僚的なビジネス・ユニオニズム路線を見直し、組合員の動員に基づいた社会運動ユニオニズムを強調するようになった。新執行部は、労働運動の活性化における地方労働評議会Central Labor Councils(CLC。特定の市・郡・地域にあるローカル組合の自主的な連合体)の役割を重視し、CLCが組織化や政治キャンペーンにおいて組合員の動員を主導し、また地域の社会運動団体と連携してコミュニティ全体の社会問題に取り組むことを奨励した。
新執行部の組織化政策は一定の成果を得たものの、労働組合の組織率の低下傾向に歯止めをかけることができなかった。そのなかで、スウィーニー執行部の組織化が戦略的でなく「手ぬるい」と批判するグループが現れ、2005年にSEIU、チームスターズTeamsters(全米運輸労働組合)、全米食品・商業労働組合United Food Commercial Workers International Union(UFCW)など5組合がAFL-CIOを脱退し、「勝利のための変革」Change to Win(CTW)を結成した。しかし、CTW内で内紛が起き、CTWの加盟組合だった衣料業・ホテル・レストラン従業員合同組合(UNITE HERE)は、2009年にAFL-CIOに再加盟した。
正称はAmerican Federation of Labor and Congress of Industrial Organizations。アメリカ労働総同盟・産業別労働組合会議と訳される。AFLとCIOが1955年に合同してできたアメリカ最大の労働組合中央組織。
労働騎士団からAFLへ
アメリカ経済は,南北戦争後に急速な発展をとげ,賃金労働者も急増した。こうした労働市場の拡大に対応して,労働組合運動も発展をみたが,それを担ったのが労働騎士団(ナイツ)と呼ばれる特異な労働者組織であった。ナイツのイデオロギーは,労働組合主義とギルド社会主義のモザイクといってよく,組織形態は地域別であり,職業別組合に対して否定的であった。したがって,ナイツ内部の職業別組合グループは,ナイツと決別して新組織の結成に向かわざるをえなくなった。1881年に,インディアナ州のテラ・ホートで,植字工組合(ITU)が中心になって職業別組合代表者会議が開かれ,合同職業別組合会議(ATC)が結成された。これがアメリカ労働総同盟American Federation of Labor(AFL)の前身で,86年にAFLに改組された。ナイツの勢力は,1880年代後半に衰退し,20世紀に入るとAFLは,組織人員の急増を背景に,アメリカ労働運動の主導権を掌握した。86年以来,葉巻工組合出身のユダヤ人S.ゴンパーズがAFLの会長となり,ゴンパーシズムと呼ばれる穏健な職業別組合主義(ビジネス・ユニオニズム)の線に沿って,AFLは大きく発展した。組織人員でみると,1900年に54万8000人であったのが,14年には202万人へと急増したのである。第1次大戦中の域内平和を背景に,20年には408万人という大組織になったが,20年代に入ると,長期にわたるアメリカ経済の繁栄によって,労働運動は大きく後退した。20年代はアメリカ労働運動にとって〈不作の時期lean years〉であり,反面において会社組合company union(御用組合)が拡大していった時期であった。
産業別組織CIOの結成
1929年に始まるアメリカの大恐慌は,32年の大統領選挙で民主党ローズベルト政権を誕生させ,33年からニューディール政策が展開されていった。35年に成立したワグナー法は,労働者の組織化ならびに団体交渉の制度化にとってきわめて有利な立法であり,労働運動前進の条件となった。しかしAFLを構成する職業別組合の大多数は,不熟練労働者を産業別に組織する産業別組合主義に強力に反対したためJ.L.ルイスらの率いるアメリカ炭坑夫組合(UMWA)などの産業別組合派はAFLと決別して,独自に組織化運動を展開せざるをえなくなった。38年に結成された産業別(労働)組合会議Congress of Industrial Organizations(CIO)は,UMWAの指導のもとに,鉄鋼,自動車,電機,ゴムなどの大量生産工業部門の大組織化運動を展開し,強力な産業別組合をぞくぞくと結成し,45年にはAFL693万人,CIO600万人と,アメリカ労働運動は二分されていた。CIOは民主党を支持し,タフト=ハートリー法の撤廃運動,フェアディールの推進など,政治活動にも積極的であったが,CIOからの共産党系組合の除名処分などによってCIOの急進主義が薄められ,両者の対立はしだいに緩和されていった。
American Federation of Labor and Congress of Industrial Organizations(アメリカ労働総同盟・産業別労働組合会議)の略称。1938年以来,米国ではAFLとCIOの二大全国労働組合組織が並立していたが,第2次大戦後の景気後退や共和党の攻撃の中でCIOも右傾し,1955年両者が歩み寄って合同した。米国最大の労働組合ナショナルセンターであり傘下の単産は自治権を有する。1969年に国際自由労連を脱退したが,1982年には復帰した。産業構造の変化,職業構造の変化などで組織率は減退している。加盟人員約1300万(1999)。 →関連項目ミーニー|ルーサー