日本大百科全書(ニッポニカ) 「タフト‐ハートレー法」の意味・わかりやすい解説
タフト‐ハートレー法
たふとはーとれーほう
Taft-Hartley Act
1947年6月、アメリカで制定された労使関係法、Labor‐Management Relations Actの通称。提案者であるR・A・タフトとハートレーFred Allan Hartley(1903―1969)の名に由来する。
労働組合の保護助成を図ったワグナー法の制定(1935)は労働組合の飛躍的発展をもたらした。とりわけ1938年AFL(アメリカ労働総同盟)から独立したCIO(産業別組合会議)の成長は、AFLとの対立を生み、対立は組合間の縄張り争いという形で展開した(両組合はその後、1955年に合同してAFL-CIOとなる)。縄張り争いに起因するストライキが頻発したため、ワグナー法の制定に強く反対していた資本家階級は、労働組合側の行きすぎを批判し、労使の交渉力の平等を回復することを主張してワグナー法の改正に取り組んだ。
第二次世界大戦後に頻発したストライキが成立を後押しし、大統領トルーマンの拒否権行使にもかかわらず成立したタフト‐ハートレー法は、ワグナー法を修正するという形式をとるが、その実質はまったく異なり、団結権を制約する内容のものであった。その具体的内容を列挙すると、(1)労働者の団結しない権利の保障、(2)クローズド・ショップ制の否認、(3)使用者の不当労働行為責任の軽減、とりわけ重要なものとして、(4)労働組合の不当労働行為類型をあげて、使用者との団体交渉拒否、第二次ボイコット、縄張り争いによるストライキなどの禁止、(5)協約改定交渉には期間満了60日前の予告、協約交渉中の60日間の争議冷却期間の設定、(6)全国緊急事態条項による大規模ストライキの80日間差止命令、(7)組合役員の非共産主義者宣言、などがある。
労働組合はこの法律を「奴隷労働法」「立法の力による労働運動の破壊」と批判し、反対運動を行ったが制定をみる。労働組合に対する法的規制はその後、1959年にランドラム‐グリフィン法Landrum-Griffin Actが制定され、いっそう強化された。
[寺田 博]