AFL-CIO(読み)えーえふえるしーあいおー

日本大百科全書(ニッポニカ) 「AFL-CIO」の意味・わかりやすい解説

AFL-CIO
えーえふえるしーあいおー

アメリカ労働総同盟産業別組合会議American Federation of Labor and Congress of Industrial Organizationsの略称。アメリカ労働総同盟・産別会議ともいう。アメリカ労働総同盟(AFL)と産業別組合会議(CIO)が、1955年に合同してできたアメリカ最大の労働組合中央組織(ナショナル・センター)。2012年時点で、56加盟組合、組合員約1200万人(カナダの組合員も含む)。

 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、主要な熟練作業を必要とする職種において、団体交渉の確立による熟練労働者の利益擁護を目的とする単一もしくは複合職業別組合が恒常的組織として確立した。これが今日のアメリカ労働組合の源流とされる。南北戦争(1861~1865)後、全国組合化が活発になるとともに、自営業者を含む生産労働者の幅広い連合体であった労働騎士団ナイツ)に対抗して独自の連合体結成を目ざし、1881年に合衆国カナダ職能労働組合連盟が発足、1886年にはこれを改組してAFLが創設された。発足時の加盟組合員数は25万人であったが、初代会長ゴンパーズら多数派は、職業別組合主義、反社会主義、政党や政治活動への介入を回避する経済主義の路線に立ち、「大不況」脱出後の組合組織率の増大やナイツの崩壊にも助けられて、アメリカ労働組合運動の主導権を掌握し、第一次世界大戦前には加盟組合員202万人を数えるに至った。しかし、19世紀末以降の鉄鋼、自動車などの大量生産工業の急速な発展に伴い、労働市場に大量の未熟練・半熟練労働者がもたらされるにつれて、AFL内でも産業別組合主義を主張、実践する潮流が成長してきた。しかし、職業別組合主義に固執する主流に指導されたAFLは、第一次世界大戦後の「アメリカン・プラン」とよばれる資本攻勢を阻むことができず、大幅な組織後退を余儀なくされた。

 他方、合同炭鉱労組委員長ルイスに指導された産業別の10組合は、1935年に産業別組織委員会をAFL内に設置したが、活動停止処分を受け、1938年に独立してCIOを結成した。ワグナー法(1935)などニューディール下の労働組合に有利な状況を背景に急速に組織を拡大し、1941年までは終始AFLを引き離していた。CIO内では第二次世界大戦中に左派が力を強め、世界労働組合連盟WFTU)の結成にも参加したが、冷戦の開始とともに内部対立が激化した。さらにタフト‐ハートレー法(1947)による組合役員の反共宣誓義務の強制に屈して、1948年左派11組合を除名し、1949年にはWFTUを脱退し、AFLとともに国際自由労連ICFTU)の結成に参画した。AFLもCIOの伸張に刺激され、1930年代末以降産業別組織の方式を大幅に取り入れていたこともあり、両組織の性格の相違は消え去った。また一方では、冷戦を背景とした国内政治の反動化(マッカーシズム)のもとで両者の競合が組合員の減少に結果したことなどの事情もあって、両者の接近が促進され、1955年合同が実現した。AFL-CIOの初代会長には、旧AFL会長のジョージ・ミーニーが就任した。

 ミーニーとその後継者として会長となったレーン・カークランドLane Kirkland(1922―1999)の時代、AFL-CIOの基本路線はビジネス・ユニオニズムであり、既存の組合員の経済的利益向上に活動の焦点を置き、未組織労働者の組織化を重視せず、公民権運動などの社会的課題にも関心を示さなかった。また、AFL-CIOは伝統的に民主党の有力な支持組織であり、同党の議員に政治献金を行った。しかし、献金は議員の政策を精査せずに行われ、献金を受けた議員のなかには労働組合に対してかならずしも友好的でない議員も含まれていた。さらに、AFL-CIOおよび傘下組合は、1970年代なかば以降の産業構造の変化(労働組合の拠点であった製造業の衰退、もともと労働組合の存在が弱かったサービス産業の伸長)、および1970年代末以降強まった経営者の組合への敵対姿勢に対応することができなかった。そのため労働組合の組織率は1970年は27%であったものの、1980年に22%、そして1990年には16%に低下し、長期低落傾向が続いた。

 このようなAFL-CIOの停滞のなかで、保守的な執行部を批判し、積極的な組織化と労働運動の活性化を重視した「ニュー・ボイス」グループが影響を強めた。1995年のAFL-CIO会長選挙は初の競争選挙となり、「ニュー・ボイス」派の全米サービス従業員労働組合Service Employees International Union(SEIU)会長のジョン・スウィーニーJohn Sweeney(1934― )が会長に選ばれた。スウィーニー執行部は「組織率の上昇」を最大の課題とし、AFL-CIO本部に独立した組織局を設立するとともに、組織化に予算の30%をあてた。さらに、これまでの官僚的なビジネス・ユニオニズム路線を見直し、組合員の動員に基づいた社会運動ユニオニズムを強調するようになった。新執行部は、労働運動の活性化における地方労働評議会Central Labor Councils(CLC。特定の市・郡・地域にあるローカル組合の自主的な連合体)の役割を重視し、CLCが組織化や政治キャンペーンにおいて組合員の動員を主導し、また地域の社会運動団体と連携してコミュニティ全体の社会問題に取り組むことを奨励した。

 新執行部の組織化政策は一定の成果を得たものの、労働組合の組織率の低下傾向に歯止めをかけることができなかった。そのなかで、スウィーニー執行部の組織化が戦略的でなく「手ぬるい」と批判するグループが現れ、2005年にSEIU、チームスターズTeamsters(全米運輸労働組合)、全米食品・商業労働組合United Food Commercial Workers International Union(UFCW)など5組合がAFL-CIOを脱退し、「勝利のための変革」Change to Win(CTW)を結成した。しかし、CTW内で内紛が起き、CTWの加盟組合だった衣料業・ホテル・レストラン従業員合同組合(UNITE HERE)は、2009年にAFL-CIOに再加盟した。

[手島繁一]

[鈴木 玲]

『チャールズ・ウェザーズ著、前田尚作訳『アメリカの労働組合運動――保守化傾向に抗する組合の活性化』(2010・昭和堂)』

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改訂新版 世界大百科事典 「AFL-CIO」の意味・わかりやすい解説

AFL-CIO (エーエフエルシーアイオー)

正称はAmerican Federation of Labor and Congress of Industrial Organizations。アメリカ労働総同盟・産業別労働組合会議と訳される。AFLとCIOが1955年に合同してできたアメリカ最大の労働組合中央組織。

アメリカ経済は,南北戦争後に急速な発展をとげ,賃金労働者も急増した。こうした労働市場の拡大に対応して,労働組合運動も発展をみたが,それを担ったのが労働騎士団(ナイツ)と呼ばれる特異な労働者組織であった。ナイツのイデオロギーは,労働組合主義とギルド社会主義のモザイクといってよく,組織形態は地域別であり,職業別組合に対して否定的であった。したがって,ナイツ内部の職業別組合グループは,ナイツと決別して新組織の結成に向かわざるをえなくなった。1881年に,インディアナ州のテラ・ホートで,植字工組合(ITU)が中心になって職業別組合代表者会議が開かれ,合同職業別組合会議(ATC)が結成された。これがアメリカ労働総同盟American Federation of Labor(AFL)の前身で,86年にAFLに改組された。ナイツの勢力は,1880年代後半に衰退し,20世紀に入るとAFLは,組織人員の急増を背景に,アメリカ労働運動の主導権を掌握した。86年以来,葉巻工組合出身のユダヤ人S.ゴンパーズがAFLの会長となり,ゴンパーシズムと呼ばれる穏健な職業別組合主義(ビジネス・ユニオニズム)の線に沿って,AFLは大きく発展した。組織人員でみると,1900年に54万8000人であったのが,14年には202万人へと急増したのである。第1次大戦中の域内平和を背景に,20年には408万人という大組織になったが,20年代に入ると,長期にわたるアメリカ経済の繁栄によって,労働運動は大きく後退した。20年代はアメリカ労働運動にとって〈不作の時期lean years〉であり,反面において会社組合company union(御用組合)が拡大していった時期であった。

1929年に始まるアメリカの大恐慌は,32年の大統領選挙で民主党ローズベルト政権を誕生させ,33年からニューディール政策が展開されていった。35年に成立したワグナー法は,労働者の組織化ならびに団体交渉の制度化にとってきわめて有利な立法であり,労働運動前進の条件となった。しかしAFLを構成する職業別組合の大多数は,不熟練労働者を産業別に組織する産業別組合主義に強力に反対したためJ.L.ルイスらの率いるアメリカ炭坑夫組合(UMWA)などの産業別組合派はAFLと決別して,独自に組織化運動を展開せざるをえなくなった。38年に結成された産業別(労働)組合会議Congress of Industrial Organizations(CIO)は,UMWAの指導のもとに,鉄鋼,自動車,電機,ゴムなどの大量生産工業部門の大組織化運動を展開し,強力な産業別組合をぞくぞくと結成し,45年にはAFL693万人,CIO600万人と,アメリカ労働運動は二分されていた。CIOは民主党を支持し,タフト=ハートリー法の撤廃運動,フェアディールの推進など,政治活動にも積極的であったが,CIOからの共産党系組合の除名処分などによってCIOの急進主義が薄められ,両者の対立はしだいに緩和されていった。

55年AFLとCIOは合同し,AFL-CIOという単一ナショナル・センターを結成した。初代会長には,旧AFL会長のG.ミーニーが就任し,政治の舞台では民主党またはリベラル派を支援してきたが,社会改革に消極的であったため,旧CIO系組合の反発を招いた。旧CIO会長のW.P.ルーサーは,新組織で副会長の一人であったが,ミーニーと対立して,1968年に出身組合の全米自動車労組(UAW)をAFL-CIOから脱退させた。また,AFL-CIOは69年に国際自由労連から脱退したが,82年に復帰した。

 1945年に36%に達していた労働組合組織率は,60年代に入って急落しはじめ,89年には13.4%にまで低下してしまった。その原因として,職業構造の変化=ホワイトカラーの増大,製造業事業所の北部スノーベルトから南部サンベルトへの移動,使用者の反組合主義の台頭などが指摘されている。AFL-CIOは,この組織的危機を打開するために,ホワイトカラーの組織化,南部地域の組織化,脱退組合の再加盟促進に努力している。80年の会長交替を契機に,UAWの復帰など若干の成果が見られたが,組織率減退に歯止めをかけるには至っていない。
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百科事典マイペディア 「AFL-CIO」の意味・わかりやすい解説

AFL-CIO【エーエフエルシーアイオー】

American Federation of Labor and Congress of Industrial Organizations(アメリカ労働総同盟・産業別労働組合会議)の略称。1938年以来,米国ではAFLCIOの二大全国労働組合組織が並立していたが,第2次大戦後の景気後退や共和党の攻撃の中でCIOも右傾し,1955年両者が歩み寄って合同した。米国最大の労働組合ナショナルセンターであり傘下の単産は自治権を有する。1969年に国際自由労連を脱退したが,1982年には復帰した。産業構造の変化,職業構造の変化などで組織率は減退している。加盟人員約1300万(1999)。
→関連項目ミーニールーサー

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「AFL-CIO」の解説

AFL‐CIO

アメリカ労働総同盟産業別組織会議(AFL-CIO)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「AFL-CIO」の意味・わかりやすい解説

AFL-CIO
エーエフエルシーアイオー

「アメリカ労働総同盟産業別組合会議」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のAFL-CIOの言及

【機関紙】より

…日本は,総評・同盟といったセンターよりも,単産とよぶ日本的産業別組織や企業別組合が強力なため,《全電通》などの機関紙や,各企業別労組の機関紙活動が中心になっている(表)。これに対してアメリカでは,むしろカウンスルと呼ぶAFL‐CIOの地域別評議会の機関紙活動が活発である。センターであるAFL‐CIOは,情報ニュースの配信,政策立案のコーディネート,広告の紹介といった情報活動に限定している。…

【国際自由労連】より

…国際自由労働組合連盟International Confederation of Free Trade Unions(ICFTU)の略称。世界労連(WFTU),国際労連(WCL)とともに有力な国際労働組合組織の一つで,沿革,組織化,機能の点で中心的存在。本部ブリュッセル。 国際労働組合運動は1864‐66年にロンドンで生まれた国際労働者協会(IWA。いわゆる第一インターナショナル)に始まるが,これは,71年のパリ・コミューンを高く評価するマルクスら(つまり革命と政治重視派)と外国からのストやぶり阻止やスト支援の国際基金などを重視する組合運動家たちとの対立もあって,短命に終わった。…

【マレー】より

…1940年から他界する52年まで,産業別組合会議(CIO。〈AFL‐CIO〉の項参照)の会長を務めた。戦闘的な組合指導者ではあったが,CIO内では共産党と対決した保守派に属する。…

【労働運動】より

…こうしてアメリカでは組織化が飛躍的に進展するとともに,職業別組合の強いAFL(アメリカ労働総同盟)からCIO(産業別組合会議)が分裂し,AFLと並ぶ勢力となった。CIOは石炭産業を中心にこれまで未組織であった分野や黒人労働者の組織化を進め,産業別組合主義を確立した(ただし第2次大戦後,アメリカが自由主義陣営の盟主となり,CIOの急進性が弱まって両者の路線の差異が意義を減じると,両者は1955年に合同しAFL‐CIOとなる)。
[現代の労働運動]
 第2次大戦後,労働組合の勢力と権利とはよりいっそう拡大した。…

【労働組合】より


【諸類型】

[アングロ・サクソン型労働組合]
 第1の類型は,アングロ・サクソン型あるいは多元主義モデルpluralistic modelと呼ばれるもので,これにはイギリス,アメリカ,アイルランドなどアングロ・サクソン系の諸国の労働組合が該当する。ナショナル・センターは統一しているが(たとえばイギリス労働組合会議TUC,アメリカ労働総同盟・産業別労働組合会議AFL‐CIO),産業別組織原則は弱く,徹底していない。そこには巨大な産業別組合や一般組合と並んで多数の職業別組合が加入しており,したがって労働組合は全体としてみれば,きわめて多様で分散した組織をなしている。…

※「AFL-CIO」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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