歌謡曲、ニューミュージック、ポップス、ロックといった、それまでのジャンルが区分崩壊したあとの1990年代以降の日本のポピュラー音楽の総称。演歌や童謡、ジャズやクラシックを除いた、英米ポップスの様式的特徴を持つものがそのジャンルの中核に位置するが、音楽学的な様式的特徴によって定義することは難しい。それらすべては市場の評価を受ける商業音楽として等価に扱われるようになったため「レコード・ヒットを狙って制作される日本製の音楽」と社会的に定義する方が妥当であろう。
Jポップという概念は(おそらくサッカー、Jリーグの発足によって流行した「J」という記号を流用し)1994年ころにその早い出現例が見られ、1995年末にはほぼ定着する。Jポップ概念の定着により、1980年代以前の日本のポピュラー音楽史もJポップ史として包括的に記述されることが可能になった。
日本のポピュラー音楽それぞれのジャンルに固有の流通や受容の文脈を均質化し、単一のジャンル名の定着を促進した社会的背景には、タワーレコード、HMVなどの大規模レコード小売店の1990年代中期の出店ラッシュ、『HEY! HEY! HEY!』(CX系)や『うたばん』(TBS系)などの1990年代型音楽番組(ミュージシャンの人物像にスポットをあてるトーク番組)の出現と定着、通信カラオケの出現により大量の新曲が迅速にカラオケとして流通するようになったことなどが挙げられよう。
浅田彰(1957― )が「J回帰」論として論じるように、冷戦構造崩壊による日本回帰の兆候としてJという記号を受け取ることも可能であるが、むしろ日本製ポップスの質的向上によって「洋楽/邦楽」の対立が無意味となり、単に日本製であることを示す中立的記号としてJが浮上したとみるのが一般的な説である。1990年代後半になるとJポップは台湾、香港(ホンコン)、中国本土、韓国などでも人気を呼ぶ文化商品となり、東アジアにおける日本の文化的プレゼンスを高める一要素となっている。
[増田 聡]
『田家秀樹著『読むJ-POP――1945―1999私的全史 あの時を忘れない』(1999・徳間書店)』▽『佐藤良明著『J-POP進化論――「ヨサホイ節」から「Automatic」へ』(平凡社新書)』
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加