渡辺政太郎(読み)ワタナベ マサタロウ

20世紀日本人名事典 「渡辺政太郎」の解説

渡辺 政太郎
ワタナベ マサタロウ

明治・大正期の社会運動家,アナキスト



生年
明治6年7月17日(1873年)

没年
大正7(1918)年5月17日

出生地
山梨県中巨摩郡松島村(現・敷島町)

別名
号=北風

経歴
幼少の頃に家運が傾き、紡績会社の職工など多くの仕事を経験したことがのちに社会運動に入るきっかけとなった。またキリスト教洗礼を受けた。明治30年上京し、この頃から社会主義に近づき、社会主義協会に入って実践運動を始めた。また東京孤児院、富士育児院の運営に協力。やがて平民床と名づけられた床屋を開業。37年頃から静岡や山梨で社会主義の宣伝に努める。その後、議会政策派の「東京社会新聞」などに関係し、第一次大戦が始まると「微光」「労働青年」などにも協力した。自ら“研究会”を主宰し、このメンバーはのちのアナキズム運動に大きな役割を果した。地道な活動と人柄によってアナキズム運動の慈父と慕われた。“研究会”は死後、“北風会”と改められた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「渡辺政太郎」の解説

渡辺政太郎

没年:大正7.5.17(1918)
生年:明治6.7.17(1873)
明治大正期の,初期社会主義を支えたアナキズム系自由人。号北風。山梨県中巨摩郡松島村(敷島町)に生まれた。工員,丁稚奉公,床屋などの経験ののち,児童養護事業(濃飛,東京,富士各育児院)に従事。日露戦争(1904~05)前後から平民床屋を開きながら,社会主義の伝道にも挺身片山潜,次いで赤羽一(巌穴),さらには足尾鉱毒事件身命を捧げる田中正造らの運動にも協力。大正に入ると,臼倉甲子造らの『微光』,久板卯之助,望月桂らの『労働青年』,大杉栄らの『近代思想』『労働新聞』などに協力。併せて南天堂書店二階の下宿を社会主義の研究会などに提供し,アナキストや戦闘的な青年活動家を育てた。死後も,彼の人柄を慕う青年たちはその研究会を北風会として継続,運動に貢献。<参考文献>多田茂治『大正アナキストの夢』

(小松隆二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡辺政太郎」の解説

渡辺政太郎 わたなべ-まさたろう

1873-1918 明治-大正時代の社会運動家。
明治6年7月17日生まれ。キリスト教徒。社会主義運動にはいり,「社会新聞」「東京社会新聞」などにかかわる。大逆事件後,無政府主義の研究会(渡辺没後「北風会」と命名)を組織して同志世話後進養成につとめた。大正7年5月17日死去。46歳。山梨県出身。号は北風。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「渡辺政太郎」の解説

渡辺 政太郎 (わたなべ まさたろう)

生年月日:1873年7月17日
明治時代;大正時代の社会主義者;無政府主義者
1918年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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