改訂新版 世界大百科事典 「トナカイ」の意味・わかりやすい解説
トナカイ
reindeer
Rangifer tarandus
偶蹄目シカ科の哺乳類。北アメリカでは野生種はカリブーcaribouと呼ばれる。角が雄だけでなく雌にもふつうある。体長130~220cm,尾長7~20cm,肩高80~150cm,体重60~315kg。多くの亜種に分けられるが,二つのグループに大別できる。(1)ツンドラトナカイR.t.tarandusは体は小型ないし中型で四肢が短い。角は淡褐色ないし黄白色で主軸は円筒形,雌にもたいてい角がある。体毛は長く柔らかで,ほおと四肢が淡く,首が白色。ノルウェー北部からシベリア北部のツンドラと,アラスカ,カナダ北部,北極海諸島,グリーンランドの西岸に分布し,多くは春,秋に大群となり長距離の季節的移動を行う。移動は600~800kmだが,1年の移動距離が1900~2400kmに達した例も知られる。(2)シンリントナカイR.t.caribouは体は大型で四肢が長い。角は暗褐色で主軸は扁平,雌の30~40%は角をもたない。体毛はふつう暗チョコレート色。フィンランドからシベリア中南部,カムチャツカ半島の南半分,アムール流域,サハリンまでと,カナダ中部,ニューファンドランドなどに分布。針葉樹林にすみ,長距離の季節的移動はしない。
トナカイは寒冷な気候によく適応している。鼻先は毛で覆われ,保温と凍結した雪の中での採食に役だつ。ひづめは幅広く扁平に広がり,側蹄が発達し,ひづめの間には長い剛毛がはえ,雪の上や雪どけのぬかるみなどを歩くのにつごうがよい。毛皮は下層に羊毛状の綿毛が密生し,上層に長さ2.5~2.8cmの差毛(さしげ)がはえ,体を寒気から守る。また耳がきわめて小さく体熱の消耗を防ぐ。通常5~100頭の群れで生活し,トナカイゴケなどの地衣類を主食とし,枯草,ヤナギやポプラなどの葉や小枝,ヨモギ,トクサ,カバなどのいろいろな植物も食べる。春の群れはふつう雄と雌は別々で,秋の繁殖期(10~11月)には雄は多くの雌を従える。妊娠期間227~229日,ほとんどが1産1子を5月下旬から6月上旬に生む。オオカミが天敵で,野生での寿命は平均4.5年。13年の記録があるが,飼育下の記録は20年2ヵ月である。
ラップ人は古くからトナカイを家畜として利用してきた。家畜化の起源については後述するが,本格的な家畜となったのは5世紀ころからである。家畜のトナカイはシベリアでも見られるが,アメリカにはなかったので,1892年にアラスカに移入された。現在の野生のものを家畜化することはきわめて困難である。肉は食用,乳はミルクやチーズ,皮は衣類,骨は縫針,腱(けん)はひもとなる。そりをもひき,北極圏にすむ人々にとってはもっとも有用な家畜である。
執筆者:今泉 忠明
飼養文化
北アメリカ
トナカイは北極圏周辺のツンドラ地帯やタイガ地帯で飼育可能な唯一の大型獣である。その家畜化は,牧畜史的には比較的新しいとされており,家畜化が進む中で野生のトナカイの狩猟も引き続き行われてきた。とくにアラスカ,カナダ,グリーンランド,それにロシア領内に居住するエスキモー諸族は,伝統的にトナカイを家畜化せず,野生トナカイの狩猟のみを行ってきた。北方ユーラシアのトナカイがレーンディアreindeerと呼ばれるのに対し,アメリカ大陸のトナカイは通例カリブーと呼ばれる。トナカイの遊牧は,野生のものが季節的な移動生活を行うのと同じように,トナカイの群れとともに冬の放牧地と夏の放牧地を定期的に移動するという形態をとる。トナカイは輸送用にそりなどをひかせたり,荷を積ませたり,騎乗したりするほか,搾乳も行われ,その乳は飲用されたり,乳製品に加工されたりする。また,家畜,野生の別を問わず,肉や内臓,血は食用に,皮は衣服やテントなどの材料,骨や角は骨角器の材料,腱はひもとして用いられ,その利用範囲は非常に大きい。野生トナカイの狩猟にはさまざまな狩猟儀礼が伴い,また種々の儀礼においてトナカイは犠牲獣として用いられた。現在でも,トナカイの放牧は北極圏周辺での主要産業としての役割を果たしている。
執筆者:栗田 博之
北方ユーラシア
北方ユーラシアにおけるトナカイの利用のしかたは,多岐多様にわたっており,その相違は地域や集団の歴史的,生態学的,民族学的な要因によるものと考えられる。人間の生活とのかかわりで,トナカイが他の家畜獣と本質的に異なるのは,先史時代から今日までそれが狩猟の対象であり続けたことである。第3回目の間氷期に当たる後期旧石器時代は〈トナカイ時代〉と呼ばれるほどトナカイは隆盛をきわめ,野馬,野牛とともにクロマニョン人の重要な獲物であった。後期旧石器時代から新石器時代の考古遺物である指揮棒,またヨーロッパ各地の洞窟絵画,シベリアの岩壁画には,トナカイやオオジカの描写が多い。気候の温暖化に伴い,トナカイは北方に追いやられたが,シベリアの原住民の間ではなお最近までトナカイやオオジカは狩猟獣として衣食住の基盤をなし,信仰や世界観のなかで主要な位置を占めていた。一方,トナカイは温順な性質のため古くから飼いならされたが,家畜化の起源については諸説あり,解明されていない。家畜化の最古の証拠は,アルタイ地方のパジリクの墳墓群(スキタイ時代)出土の馬にかぶせたトナカイのマスクで,騎馬より以前にトナカイが利用されていたことを示すものと考えられている。
民族誌的には北方ユーラシアのトナカイ飼養にはいくつかの類型が区別されるが,たとえばトナカイ飼養が経済的にどのような位置を占めるかは,むしろ生態学的な条件により大きく左右されている。すなわち,シベリアの南部からタイガ地帯にかけて狩猟や漁労が大きな比重を占める社会では,トナカイの飼養頭数は概して少なく,もっぱら荷や人の運搬・移動手段として利用された。獲物の乏しい地域では食肉として屠殺することもあったが,一般には祭事や供犠などの場合以外の屠殺はまれであった(エベンキ族,東トゥバ族,カラガス族,興安嶺のオロチョン族)。これに対し,シベリア北部とスカンジナビア半島の北極海寄りのツンドラ地帯では大規模なトナカイ飼養が行われ,その形態には搾乳の有無,牧犬の有無,去勢の方法などの点で地域差,集団差が見られた。たとえば,牧犬の利用はラップ人,西シベリアのネネツ族やサモエード諸族に限られ,搾乳して愛飲したのは北ヤクート族のみであった。
レナ川下流域から北東シベリアのツンドラ地帯のヤクート族,ドルガン族,コリヤーク族,チュクチ族では,トナカイの群れは数百頭から1000頭にも達し,牧民はトナカイ皮の天幕を住居としながら遊牧生活を営んだ。日常の食糧は狩りの獲物(野生トナカイやその他の鳥獣),ところによっては魚類や海獣であり,家畜トナカイが食用とされたのは食糧の欠乏したときか,祭事や供犠などの限られた場合だけであった。秋から冬に行われる大がかりな屠殺は,衣服や天幕用の毛皮の入手を目的とし,どの集団でも最大の年中行事であった。
経済的にみるなら,シベリアの他の地域や集団のトナカイ飼養の形態は以上のような二つの基本的な類型の中間にさまざまに位置づけられよう。移動・運搬手段としての利用について物質文化の側面から眺めると,トナカイ飼養は非常に複雑で,しかも文化史的に重要な問題を提起している。移動・運搬手段としては,そり,荷役,騎乗の方法がある。トナカイぞりは北方のツンドラ地帯に一般的ではあるが,そりの種類や構造,牽引具の特徴,トナカイの頭数,乗り方や操縦のしかたに細かな違いがある。また,荷役や騎乗用としての利用についても,手綱のつけ方,鞍のつくりや置く位置(トナカイの背のまん中か肩甲骨の上か),騎乗の方法(馬乗り,右側の横乗り,左側の横乗り,長杖の有無など)に相違があり,また荷役には利用しても人間は乗らないという場合もある(ラップ人その他)。このような指標によれば,トナカイ飼養には,ラップ型,サモエード型,サヤン型,ツングース型,チュクチ・コリヤーク型の五つが基本的な類型として区別される。
儀礼としては,典型的なものにトナカイの増殖祈願の呪術儀礼(エベンキ族),角祭(チュクチ族),そり競争(チュクチ族,コリヤーク族)などがあり,また,狩猟と家族の守護神としての〈聖なるトナカイ〉が特別扱いされた(エベンキ族,ヤクート族,ネネツ族)。このような儀礼の大部分が狩猟儀礼に由来することは注目すべきである。また,エベンキ族の宇宙観では〈動物の主〉は雌のトナカイ(もしくはオオジカ)であり,ネネツ族やラップ人ではトナカイは太陽や星座と結びついており,このようなトナカイ=太陽の表象は,古くは南シベリアに分布する青銅器時代の遺物,立石にトナカイを彫った〈トナカイ石〉にさかのぼることができる。今日のシベリアでは,トナカイ飼養は社会主義経済に組み込まれ,近代的な経営がなされている。
→遊牧
執筆者:荻原 真子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報