マルクス主義の未来社会観(共産主義思想)に導かれて樹立されたもので、生産手段の社会的所有に基づいて、社会全体の生産と消費が計画によって調整され、各人の労働に応じて所得分配が行われる経済をいう。
[宮鍋 幟]
マルクスは、資本主義社会の次にくる新しい社会を共産主義社会とよび、それを、資本主義社会に直接後続する「第一段階」と、これに続く「より高度の段階」とに区分し、この両段階を区別するものは、「労働に応じた分配」と「欲求(必要)に応じた分配」という分配原則の違いであると述べた。レーニンはこの二段階区分を継承し、前者が普通、社会主義とよばれていると指摘した。それ以来、社会主義社会とは共産主義社会の低い段階をさし、広義の共産主義社会は社会主義社会と狭義(本来)の共産主義社会との二つの段階からなるということが、マルクス主義者の間の通説となった。このようなマルクス主義的未来社会観に基づく社会主義経済は、理念のうえで次の4点の特徴をもつとされた。第一に、生産手段(土地、建物、機械、原材料など)が私的所有ではなく、社会的所有となっていること。そしてこの点は、以下の諸特徴が成立するための前提条件でもある。第二に、資本主義的な市場経済が廃止され、経済が全社会的規模で計画的に運営されること、つまり計画経済が行われること。第三に、財産所得や不労所得が否認され、所得の分配が労働に応じて行われること。第四に、以上の結果として資本主義のもとでの労働疎外が克服され、働く者が賃金労働者から生産の主人公になること。
[宮鍋 幟]
第二次世界大戦後、旧ソ連や東欧諸国や中国など、マルクス主義的社会主義観に立脚する一連の社会主義国が存在したが、これらの国々はいずれも、上述のような社会主義経済の理念的特徴を自国に実現しているとはいえなかった。たとえば、ソ連の場合、生産手段の圧倒的大部分は国家的所有の形態をとり、しかもそこではこの国家的所有が全人民による所有という意味での「全人民的所有」と同一のものであると主張された。しかし、ソ連型計画経済制度においては、経済的意思決定が極度に中央集中されていること、企業の自主性が局限されていること、企業管理への労働者参加が欠如していること、そして国家機構や政治体制が共産党による一党独裁型であったことなどを考慮にいれるならば、そこでの国家的所有は全人民による所有とはいえず、したがって生産手段の全人民(社会)的所有は架空のものとなり、官僚主義的偏向のもとで、労働者は労働の場において主人公として行動する余地を奪われるという「新たな疎外」が生じていたのが実情であった。
このように社会主義経済の現実はその理念からほど遠かったが、そればかりでなく、社会主義諸国の経験を踏まえて既述の理念的特徴それ自体への反省もまた行われるに至った。社会主義経済とは非市場的計画経済であるとする伝統的な社会主義観に対置して、社会主義経済への市場経済的要素の導入による「計画と市場の結合」という新たな改革構想が多くの論者によって提唱されるようになったのは、その一例である。これは次のことと関連している。すなわち、マルクス主義古典の理念に基づいて非市場経済としての社会主義経済を実際に実現しようとしたのが、1930年代中ごろにソ連で確立された集権制計画経済制度であり、それが第二次世界大戦後に東欧諸国や中国に移植されるに及んでその欠陥を露呈し、ためにこれら諸国でこのソ連型制度に対する改革論議が行われ、その結果、50年代後半からソ連および東欧諸国で相次いでいわゆる経済改革が開始され、80年代に入ると中国もこの流れに合流するに至ったことがそれである。そして伝統的なソ連型制度を支える理論的基礎が計画と市場の本質的非両立論であったとすれば、改革構想のそれが両者の両立論となったのは、当然の成り行きであった。こうして、社会主義経済とよばれるものには、大別して集権制と分権制の二つのタイプが存在することになった。分権制では計画と市場の結合が図られるため、それは市場社会主義あるいは社会主義市場経済ともよばれた。
[宮鍋 幟]
集権制とは、国民経済の一般的発展方向に関するマクロ経済的意思決定だけでなく、企業の経営活動に関するミクロ経済的意思決定までも中央計画管理機関に集中する計画経済制度である。これに対して分権制とは、ミクロ経済的意思決定についてはこれを企業自身に任せる計画経済制度であるが、その際の企業の自律的決定の範囲の拡大は、実際にはこのような決定の前提と規準とを与える市場の役割の増大なしには実現されえないから、社会主義のもとでの経済的意思決定の分権化と市場メカニズムの導入とが密接不可分の関係にあることはいうまでもない。
集権制の特徴は次の諸点にある。(1)企業活動にかかわるミクロ経済的意思決定(企業における投入、産出や企業相互間における生産物流通などについての決定)までもの中央集中、(2)企業計画が中央計画の厳密な従属的構成部分となっていること、および中央と企業の垂直的連関の優位と企業間の水平的連関の副次的役割、(3)中央から企業への決定伝達が「命令」、企業から中央への情報伝達が「報告」の形をとること、(4)実物単位による経済計算と計画編成の支配的役割ならびに貨幣形態(価格、原価、利子など)の受動的役割、などである。このような集権制は、限られた資源のもとで高い成長目標や経済構造の急激な変化が追求される後進的経済の外延的発展には適するが、細部にわたる記述の不可能なきわめて複雑な連関をもつ発達した経済には適合的でないという問題点をもっていた。集権制のもう一つの欠陥は、すでに述べたように、社会主義経済運営の意識的主体であるべき労働者を中央命令の単なる遂行者の地位におとしめるという、社会主義らしからぬ新たな疎外現象をそれが引き起こした点である。
経済改革による集権制から分権制への移行の好例としては、1968年のハンガリーの改革をあげることができる。ハンガリーの分権化構想は「誘導市場モデル」とよばれ、従業員の所得の増大のために収益最大化を目ざして市場で行動する企業の意思決定を、中央計画実現の方向に、価格、利子率、税率などの「経済レギュレーター」の操作によって中央が間接的に誘導するものであった。また、1950年代初めからユーゴスラビアで導入された労働者自主管理制度は、企業経営を当該労働者評議会にゆだね、企業を市場によって結び付けるという、より徹底した分権制であったが、これらの分権制にあっては市場メカニズムが期待されたほど機能せず、効率向上の課題に十分にはこたえられなかった。こうして社会主義経済にはソ連型の集権制計画経済制度、ユーゴスラビアの労働者自主管理制度、ハンガリーの誘導市場モデル(新経済メカニズムともよばれた)の三つのタイプが存在したが、1989年後半の東欧の政治的激動、91年末のソ連解体を通じて社会主義体制が崩壊した結果、この地域における社会主義経済は消滅した。なお、中国では92年の第14回党大会でその経済改革は社会主義市場経済の確立を目ざすことが決定された。
[宮鍋 幟]
『岡稔他著『第2版 経済学全集31 社会主義経済論』(1976・筑摩書房)』▽『W・ブルス著、鶴岡重成訳『社会主義経済の機能モデル』(1971・合同出版)』▽『W・ブルス著、大津定美訳『社会化と政治体制』(1982・新評論)』▽『西村可明著『現代社会主義における所有と意思決定』(1986・岩波書店)』▽『佐藤経明著『ポスト社会主義の経済体制』(1997・岩波書店)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…この点を中心とする自らの思想的立脚点の明確化が,現在の日本の社会主義には問われている。【安田 浩】
〔社会主義経済〕
1984年初頭の今日,ソ連をはじめ世界でおよそ17を数える社会主義国があるが,体制としてどこまで〈社会主義〉といいうるかについては,近年,多くの疑問が提起されている。1970年代以降のソビエト・マルクス主義の公式見解では,ソ連の現在の発展段階が,フルシチョフ時代の1960年代初めに打ち出された〈共産主義の展開的建設期〉という規定からいくらか後退して,〈発達した社会主義〉と規定されているとしても,マルクスの《ゴータ綱領批判》(1875)にいう広義の共産主義社会の第1段階(社会主義)のなかに位置づけられていることでは,基本的に変りはない。…
※「社会主義経済」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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