シャンタル(英語表記)Jeanne Françoise Frémiot de Chantal

改訂新版 世界大百科事典 「シャンタル」の意味・わかりやすい解説

シャンタル
Jeanne Françoise Frémiot de Chantal
生没年:1572-1641

フランスの聖女,聖母訪問修道会創立者。ディジョン名家に生まれ,シャンタル男爵と結婚し,幸福な生活を送ったが,1601年狩猟事故で夫を失う。モントロン城で祈り,慈善,子どもの養育に専念する間にフランソア・ド・サールと出会い,その指導の下に信仰生活を深め,10年聖母マリアが従姉エリザベツを訪問した故事から霊感を得て,貧窮者や病者への奉仕使命とする女子修道会を創立。22年フランソア・ド・サール没後はその列福運動の推進者となり,シャンタル自身も1751年列福,67年に列聖された。祝日8月21日。書簡文学で有名なセビニェ夫人はその孫にあたる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャンタル」の意味・わかりやすい解説

シャンタル
Chantal, Jeanne Françoise Frémiot, Baronne de

[生]1572.1.28. ディジョン
[没]1641.12.13. ムーラン
フランスの宗教家。聖女。夫の死後サルのフランソア説教を聞き,その指導を受け,1610年彼とともに聖マリア訪問修道会をアヌシー設立。この会は,きびしい苦行戒律を避けたが,宗教的熱意に富む多くの修道女を養成して,急激な発展をとげた。シャンタルはフランソアの死後その書簡や説教を公刊。 28年のペスト流行時には修道院を病院として開放した。 1751年列福者,67年聖人に列せられた。祝日は8月 21日。

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世界大百科事典(旧版)内のシャンタルの言及

【フランソア・ド・サール】より

…94年父の反対を振り切って司祭となり,カルバン派の強いシャブレ(ジュネーブ湖南岸)地方をカトリックに戻す。1602年アンヌシーに中心を置くジュネーブ司教となり,04年以降シャンタルの霊的指導にも尽力し,10年彼女とともに〈マリアの訪問修道女会〉を創立。のち人文主義研究のため,アンヌシーにフロリモンタナ学院も創立した。…

※「シャンタル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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