塩入松三郎(読み)しおいりまつさぶろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「塩入松三郎」の意味・わかりやすい解説

塩入松三郎
しおいりまつさぶろう
(1889―1962)

土壌学者。長野県に生まれる。1914年(大正3)東京帝国大学農芸化学科を卒業。農商務省農事試験場土性部に入り、1922年同場農芸化学主任となり、1936年(昭和11)東大農学部講師を兼任、1942年教授に任命され、試験場技師を1946年(昭和21)まで兼ねた。1950年定年退官し、滋賀県立農業短期大学学長に選ばれ、1955年退任後は玉川大学農学部教授、日本農業研究所理事を務めた。土壌を固定的にみず、環境や人為的操作で変化するものとしてとらえ、調査し、くふうして土壌改良に尽力した。水田土壌成分の変質老化とその活性化の研究により、第二次世界大戦後の食糧増産策(深層施肥乾田効果利用、鉄分補給のための客土)が確立し、1945年帝国学士院賞を授与され、1957年日本学士院会員、文化功労者に推挙された。『水田の土壌化学』『土壌学研究』『土壌肥料講話』『土壌の分類について』の著がある。

石山 洋]

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20世紀日本人名事典 「塩入松三郎」の解説

塩入 松三郎
シオイリ マツサブロウ

大正・昭和期の農学者 東京大学教授。



生年
明治22(1889)年11月12日

没年
昭和37(1962)年10月1日

出生地
長野県上水内郡水内村(現・信州新町)

学歴〔年〕
東京帝大農科大学農芸化学科〔大正3年〕卒

学位〔年〕
農学博士

主な受賞名〔年〕
日本農学賞〔昭和12年〕,技術院賞〔昭和19年〕,帝国学士院鹿島萩麿記念賞〔昭和20年〕,文化功労者〔昭和32年〕

経歴
大正3年農商務省農事試験場に入り、陸羽支場などに勤め、11年より農事試験場農芸化学主任。昭和11年東京帝大農学部講師(兼任)となり、17年教授兼任、21年から教授専任。25年に定年退官。以後滋賀県立農業短大学長、日本農業研究所員、30年玉川大学教授を歴任した。この間、昭和9年に「水田土壌の反応に就いて」など多くの論文を発表、窒素肥料の合理的施用法として、全層施肥法を提唱、普及させた。さらに老朽化水田の改良法で19年技術院賞を受賞、水田土壌化学の体系を築いた。著書に「土壌学研究」「土壌肥料講話」「土壌の分類について」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「塩入松三郎」の解説

塩入松三郎 しおいり-まつさぶろう

1889-1962 大正-昭和時代の土壌学者。
明治22年11月12日生まれ。農商務省農事試験場勤務ののち,昭和17年母校東京帝大の教授,25年滋賀県立農業短大学長となる。水田土壌化学,畑土壌化学などを研究し,とくに水稲の「秋落ち」の機構解明で知られた。20年学士院鹿島萩麿記念賞。32年文化功労者。昭和37年10月1日死去。72歳。長野県出身。著作に「土壌学研究」「土壌肥料講話」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「塩入松三郎」の意味・わかりやすい解説

塩入松三郎
しおいりまつさぶろう

[生]1889.11.12. 長野
[没]1962.10.1. 東京
農芸化学者,土壌学者。東京帝国大学農学部農芸化学科卒業 (1914) 。東京大学教授 (42~50) 。『畑土壌の化学』の完成を志したが,未完のまま他界。水稲の「秋落ち」の研究がある。 1945年帝国学士院賞を受賞,日本学士院会員。文化功労者に選ばれた (57) 。

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367日誕生日大事典 「塩入松三郎」の解説

塩入 松三郎 (しおいり まつさぶろう)

生年月日:1889年11月12日
大正時代;昭和時代の農学者。東京大学教授
1962年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の塩入松三郎の言及

【脱窒】より

…このような条件は一般に水田や沼沢地の底質土でみられるもので,そのようなところでは顕著な脱窒の生ずることがある。日本では水田の脱窒に関する研究が塩入松三郎らによって世界にさきがけて行われ,最も進んでいる。水田に湛水(たんすい)すると土の表層は水を通して酸素が供給されるため酸化的となり,そこではアンモニア態窒素など窒素化合物が酸化されて硝酸になる。…

【農学】より

…昭和初期における農業恐慌,水稲冷害(1931,34,35)は,日本の農学,とくに稲作などをめぐる実験的諸研究の発展の第1の契機となった。篤農荻原豊次の保温折衷苗代の創出は,水稲苗研究の端緒になり,塩入松三郎の水田脱窒現象の発見と全層施肥法の考案は,現代の水田土壌化学への出発点となり,寺尾博らの水稲の冷温による被害の研究は,今日の水稲生理・生態実験の嚆矢(こうし)ともいうべきものとなった。浅見与七が果樹研究へ実験的手法を取り入れたことも見落とせない。…

※「塩入松三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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