日本歴史地名大系 「大久野島」の解説
大久野島
おおくのじま
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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広島県中南部、芸予(げいよ)諸島の一島。竹原(たけはら)市に属す。面積0.7平方キロメートル。竹原市忠海(ただのうみ)港から船で15分の距離にある。昭和初年に陸軍の火工廠(しょう)が置かれ、毒ガス工場となった。1937年(昭和12)ごろには約400人がイペリット、ルイサイトなど各種毒ガスの製造に従事し、月産約400トンに達した。第二次世界大戦後アメリカ軍によって施設は破壊され、毒ガスは土佐沖に投棄された。しかし当時の従業員の多くに呼吸器系、消化器系障害が生じ、問題化している。毒ガスの恐ろしさや戦争の悲惨な状況を解説した大久野島毒ガス資料館がつくられている。1950年(昭和25)アメリカ軍から返還、1963年には国民休暇村(現、休暇村)となり、暗いイメージを払拭(ふっしょく)してきた。ラドン16.1マッヘの放射能泉が湧出(ゆうしゅつ)し、海水浴場やキャンプ場もあり、保養地として利用され、島内は一般車両の通行が禁止となっている。島の最高点(108メートル)の展望台からは、多島海の景観が楽しめる。全島瀬戸内海国立公園に含まれる。人口18(2000)。
[北川建次]
広島県竹原市に属する芸予諸島の一島。面積0.7km2。本土より3kmの位置にあり,現在国民休暇村(1963開設)の島として親しまれているが,〈毒ガスの島〉の異名がある。明治中期に呉軍港のための砲台が置かれたが,大正末に撤去された。1927年旧陸軍は国際条約による使用禁止にかかわらず,この島に毒ガス工場を設置し,機密保持のため数戸の農家を立ち退かせ,以来第2次世界大戦敗戦まで一般の立入りを厳禁した。工場の最盛期は日中戦争が勃発してからで,従業員は2000人をこえた。びらん性猛毒イペリット,青酸ガスなどが生産され,もれた有毒ガスで全島の立木は枯れ,ネズミも死滅した。国家総動員法で集められた従業員は敗戦までに5000人とも6000人ともいわれ,後年毒ガス障害に苦しむことになった。その実態は52年以降広島大学の研究によって明らかにされた。
執筆者:藤原 健蔵
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