島が多いだけに瀬戸も多く、潮の干満による潮流は複雑で早く、和船の航行には難所とされた。中世、因島・能島・来島を根拠地とした三島村上氏をはじめ、生口島などを押えた小早川氏一族の生口氏、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
瀬戸内海西部の島群で、安芸(あき)(広島県)と伊予(愛媛県)の間にある島々を称する。ただし広島湾口にある江田島(えたじま)、能美(のうみ)島、倉橋(くらはし)島は含めない。おもな島は、広島県の下蒲刈(しもかまがり)島、上蒲刈島、豊(とよ)島、大崎上(おおさきかみ)島、大崎下島、生口(いくち)島、高根(こうね)島、佐木(さぎ)島、因(いんの)島、向(むかい)島、大久野(おおくの)島など、愛媛県の岡村島、大三(おおみ)島、伯方(はかた)島、大島、岩城(いわぎ)島、生名(いきな)島、佐(さ)島、弓削(ゆげ)島などである。これらの諸島のうち東半は本州四国連絡橋の一つである今治(いまばり)―尾道(おのみち)ルートにあたる。大半の島々ではミカンなど柑橘(かんきつ)類の栽培が盛んで、ほかに造船業、漁業などが行われる。
[北川建次]
安芸国(広島県西部)と伊予国(愛媛県)との間に密集する瀬戸内海中部の島々の総称。以前は芸予叢島(げいよそうとう)と呼ばれていた。芸予諸島の範囲には混乱があり,かつては尾道~今治間の生口(いくち)島,大三島,大島などを漠然と指し,安芸国からはずれた備後国の向島や因島も含んでいた。芸予諸島といいかえてからは,旧芸予叢島の範囲に加えてその西に続く上下の蒲刈(かまがり)島や倉橋島,江田島をも含めるようになり,以前より広義となった。芸予諸島は地形,地質の違いから東部,中部,西部に分けられる。東部は旧芸予叢島の島々であり,地質構造を反映して北東~南西方向へ密に並ぶとともに,それぞれの地形は古生層の中央山地と,それをとりまく花コウ岩質の丘陵,山麓緩斜面にはっきり分かれている。これに対して大崎上島,大崎下島,上・下蒲刈島,豊(とよ)島など中部の島々は浸食に対して抵抗性のある流紋岩と古生層からなるため,山地は急峻で平地に乏しい。また,流紋岩の貫入方向を示す西北西~東南東に島々が連なる。西部の島々は広島湾南東部にある能美島,江田島,倉橋島などを指し,西能美島を除いて全島が花コウ岩からなる。島の地形は粗粒質か細粒質かという花コウ岩自体の岩質や割れ目の疎密さを反映している。芸予諸島は瀬戸内気候の特性をよく示し,1月平均気温は5℃を下らず,夏冬とも雨が少ない。これを好条件としてかんきつ類がどの島でも栽培されており,特に大崎下島の大長(おおちよう)地区は西日本における最も古い栽培地域である。集落は静かな入江の奥に小さな集落が密集し,一本釣り,はえなわなどの零細漁業を営んできたが,漁業資源の減少に伴い,ノリ,クルマエビ,ハマチの養殖が増加している。内海交通の要路にあるため,古い港町や造船の町が多いが,交通体系の変化や造船業界の変動によって島の経済は揺れ動いている。向(むかい)島,因島,生口島,大三島,伯方(はかた)島,大島は本州四国連絡橋の尾道-今治ルートにあたり,1988年までに尾道から大島までの架橋が完成,99年5月には今治までの架橋が完成して全通した。
執筆者:藤原 健蔵
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…室町・戦国時代の瀬戸内水軍(海賊衆)。南北朝時代より芸予諸島に拠って瀬戸内海の制海権を握り,海賊的行為のほか日常は豊富な海上輸送の通行料をとる警固衆として活動した。一族は伊予の能島(のしま),来島(くるしま),備後の因島を拠点とする3家に分かれて三島村上氏と呼ばれ,伊予の河野氏に属したが,自立的性格が強かった。…
※「芸予諸島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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