下野(しもつけ)国大田原(栃木県大田原市)に居城を置いた外様(とざま)大名の小藩。藩主の大田原氏は、古くは大俵(おおたわら)とも書き、中世以来、豪族那須(なす)氏の有力部将として那須七騎の一人として活躍した。1590年(天正18)那須氏滅亡後もそのまま生き残り、関ヶ原戦後の加増を受け近世大名になり、藩が成立した。領地は居城のある那須郡を中心に、芳賀(はが)、塩谷(しおや)の下野国3郡にまたがる87村、1万1417石である。戊辰(ぼしん)戦争では新政府側に属したため、会津(あいづ)兵に城下を焼き払われている。廃藩後、大田原県、宇都宮県を経て1873年(明治6)栃木県の管轄となる。
[奥田謙一]
『『大田原市史』前後編(1982・大田原市)』▽『益子孝治著『維新と大田原藩』(1982・大田原風土記会)』▽『蓮実長著『那須郡誌』(1970・下野新聞社)』
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