日本大百科全書(ニッポニカ) 「昭電疑獄事件」の意味・わかりやすい解説
昭電疑獄事件
しょうでんぎごくじけん
昭和電工社長日野原節三(せつぞう)らによる復興金融金庫の融資をめぐる政官界への贈収賄事件。1948年(昭和23)に表面化した。総合化学工業会社の昭和電工は設備拡充のため、48年までに復金からおよそ26億4000万円の融資を受けた。この利権を手にするため日野原らは約1億円に上る金品を政府高官・復金幹部らに贈った。一般庶民の月収が700円の時代であった。同年4月、野党の民主自由党は衆議院不当財産取引委員会で倒閣をねらってその不正を暴露したため政治問題化した。5月、警視庁捜査二課が昭電本社を捜索、証拠書類を押収し、6月23日日野原を逮捕した。9月に入って元農林次官重政誠之(しげまさまさゆき)、大蔵省主計局長福田赳夫(たけお)、元自由党幹事長大野伴睦(ばんぼく)、興業銀行副総裁二宮善基、経済安定本部長官栗栖(くるす)赳夫が収賄容疑で逮捕された。10月6日前副総理・元社会党書記長西尾末広(にしおすえひろ)が逮捕されるに及んで、翌7日芦田均(あしだひとし)内閣は総辞職のやむなきに至った。その芦田も12月7日逮捕された。総逮捕者数は64名に及び、うち37名が起訴され、ほかは不起訴処分となった。52年一審判決、58~59年控訴審判決、62年最高裁判決と事件発生以来14年半の時日を要したが、日野原、栗栖、重政らが有罪(執行猶予)となったのみで他の政官財界人はいずれも無罪となり、結局実刑を受けた者は1人もいなかった。なお事件の背後にはGHQ(連合国最高司令部)内のGS(民政局)とG2(幕僚情報局)との対立、主導権争いがあったといわれ、以後GS勢力は衰退していくことになった。
[荒 敬]
『田中二郎他編『戦後政治裁判史録 第1巻』(1980・第一法規出版)』▽『室伏哲郎著『汚職の構造』(岩波新書)』