「アントニヌス」の検索結果

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あんとにぬすちょくほう【アントニヌス勅法】

改訂新版 世界大百科事典

サンタンジェロ城[ローマ] サンタンジェロじょう[ローマ] Castel Saint'Angelo, Roma

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ローマのテベレ川右岸にある古代ローマの建物。聖天使城の意。本来はローマ皇帝ハドリアヌスの廟墓として,139年に皇帝アントニヌス・ピウスが奉献し…

ウェルス Lucius Aurelius Verus 生没年:130-169

改訂新版 世界大百科事典
ローマ皇帝。在位161-169年,マルクス・アウレリウスと共治。前名はルキウス・ケイオニウス・コンモドゥス。ハドリアヌスの意向でマルクスと共にアン…

スベイトラ Sbeitla

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
チュニジア中央西部,カスラインの東北東 31kmに位置した古代ローマの都市スフェトゥラの遺跡。起源は,1世紀初めのヌミディア人の反乱に対する遠征…

カンピドリオ‐ひろば【カンピドリオ広場】

デジタル大辞泉
《Piazza del Campidoglio》イタリアの首都ローマにある広場。ローマの七丘の一で最も高いカンピドリオの丘に位置する。古代ローマの中心地として最…

アントニヌス・ピウス

百科事典マイペディア
ローマ皇帝(在位138年―161年)。五賢帝の一人。ハドリアヌス帝の養子となり,その後を継承。治世はローマ帝国史上最も平穏な時代とみられ,〈ピウス…

あんとにぬすのじょうへき【アントニヌスの城壁】

改訂新版 世界大百科事典

サンタンジェロ‐じょう〔‐ジヤウ〕【サンタンジェロ城】

デジタル大辞泉
《Castel Sant'Angelo》イタリアの首都ローマ中心部、テベレ川右岸にある城。対岸とサンタンジェロ橋で結ばれる。135年にローマ皇帝ハドリアヌスが自…

アントニヌス・ピウス あんとにぬすぴうす Antoninus Pius (86―161)

日本大百科全書(ニッポニカ)
ローマ皇帝(在位138~161)。五賢帝の4番目の皇帝。執政官級の貴族の家系に生まれ、財務官、法務官を務めた後、34歳で執政官となった。小アジアの総…

ユリアヌス Publius Salvius Julianus 生没年:100ころ-169ころ

改訂新版 世界大百科事典
ローマ法古典期(元首政期)盛期の代表的法学者。北アフリカの出身で,コンスル(148)はじめいくつかの属州長官などの要職を歴任し,ハドリアヌス帝…

五賢帝 ごけんてい

日本大百科全書(ニッポニカ)
ローマ帝国で相次いで君臨した5人の名皇帝。すなわち、ネルウァ(在位96~98)、トラヤヌス(在位98~117)、ハドリアヌス(在位117~138)、アント…

マルクス・アウレリウス Marcus Aurelius Antoninus

山川 世界史小辞典 改訂新版
121~180(在位161~180)ローマ皇帝。アントニヌス・ピウス帝の養子となり,帝位を継ぐ。五賢帝のうちの第5番目にあたる。まず帝国の東部でパルティア…

カラカラ Caracalla; Marcus Aurelius Severus Antoninus

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]188.4.4. ルグドゥヌム[没]217.4.8. カルラエローマ皇帝 (在位 198~217) 。 211年まで父セプチミウス・セウェルス帝と共治。 14歳で結婚し,そ…

リメス limes

改訂新版 世界大百科事典
ローマ帝政初期には単に小道あるいは道を意味したにすぎないが,のち敵地への軍事行動の際に軍隊により切り開かれた道を意味するようになったラテン…

アントニヌス・ピウス Titus Aurelius Fulvus Boionius Antoninus Pius 生没年:86-161

改訂新版 世界大百科事典
ローマ皇帝。在位138-161年。五賢帝の一人。ローマ近郊の名家の出で順調に昇進し,ハドリアヌスの顧問団の一員となる。その末年から実権を委ねられ,…

せうぇるすあんとにぬす【セウェルス・アントニヌス,M.A.】

改訂新版 世界大百科事典

アントニヌス・ピウス Antoninus Pius

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]86.9.19. ローマ近郊ラヌウィウム[没]161.3.7. ローマ近郊ロリウムローマ皇帝 (在位 138~161) ,五賢帝の一人でその4番目にあたる。 120年執政…

マルクス・アウレリウス Marcus Aurelius Antoninus 生没年:121-180

改訂新版 世界大百科事典
ローマ皇帝。在位161-180年。五賢帝の最後。スペイン出の名門に生まれ,幼時にはマルクス・アンニウス・ウェルスMarcus Annius Verusといった。ハド…

アクチウムの海戦 アクチウムのかいせん Battle of Actium

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
古代ローマの内乱期における最後の戦闘。前 31年9月2日,アクチウム沖合いでオクタウィアヌス (アウグスツス ) が M.アントニウスを破った海戦。アン…

エラガバルス えらがばるす Elagabalus (204―222)

日本大百科全書(ニッポニカ)
古代ローマ皇帝(在位218~222)。本名Varius Avitus Bassianus。ヘリオガバルスHelīogabalusともいう。皇帝としてはアウレリウス・アントニヌスMarc…

フロント Marcus Cornelius Fronto 生没年:100ころ-166ころ

改訂新版 世界大百科事典
ローマの弁論家,修辞学者。北アフリカのキルタ出身。アントニヌス・ピウス帝の信を得て,養子マルクス・アウレリウスとウェルスの修辞学の教師に任…

カニディウス・クラッスス Canidius Crassus

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?[没]前31古代ローマの軍人。 M.アントニウスの腹心の部下。ペルシヌムの戦いののち,執政官 (コンスル ) 代理としてカフカスまで遠征。アクチウ…

アントニウス・アンチルス Antonius Antyllus, Marcus

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?[没]前30頃古代ローマの政治家 M.アントニウスの子。前 37年タレンツムでオクタウィアヌス (アウグスツス ) の娘ユリアと婚約したが,前 30年父…

アクティウムの海戦 あくてぃうむのかいせん

日本大百科全書(ニッポニカ)
古代ローマ時代の決戦の一つ。アクティウムActiumはギリシア北西部のアンブラキア湾頭の岬。カエサル没(前44)後のローマの覇権争いのなかで、アン…

アントニヌス=ピウス Titus Aelius Antoninus Pius

旺文社世界史事典 三訂版
86〜161ローマの皇帝(在位138〜161)で五賢帝のひとりハドリアヌス帝の養子。浪費をしりぞけ,善意にみちた施政を行い,「恵み深きピウス」の名をえ…

サエクルムの祭典 サエクルムのさいてん Ludi Saeculares

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
サエクルム (人の寿命の最大限を意味し,100年と定められていた) の終りを記念して古代ローマで行われた国家的な競技と祭儀。シビュラ予言書によって…

サンタンジェロ城 さんたんじぇろじょう Castel Sant'Angelo

日本大百科全書(ニッポニカ)
ローマ市内テベレ川右岸、バチカン市国の手前に建つ城。別名ハドリアヌス廟(びょう)。ローマ皇帝ハドリアヌスが彼自身とその後継者たちの墓として建…

アントニヌス・ピウス Titus Aelius Antoninus Pius

山川 世界史小辞典 改訂新版
86~161(在位138~161)ローマ皇帝。五賢帝のうちの第4番目。ハドリアヌス帝の養子となり,帝位を継ぐ。ピウス(敬虔な)の称号は元老院から贈られたも…

アクティウムの海戦 アクティウムのかいせん Actium

旺文社世界史事典 三訂版
前31年9月2日,オクタヴィアヌスがアントニウス・クレオパトラの連合軍を破った海戦翌前30年アントニウス・クレオパトラは自殺し,エジプトはロー…

五賢帝 (ごけんてい)

改訂新版 世界大百科事典
1世紀末以後の約80年間(96-180)におけるローマ帝国全盛期に,治政に優れた才能を示した相継ぐ5人の皇帝の総称。フラウィウス朝の最後の皇帝ドミテ…

an・to・nia・no, na, [an.to.njá.no, -.na]

小学館 西和中辞典 第2版
[形] 聖アントニウス会の.━[男]1 聖アントニウス会の修道士.2 〘複数で〙 聖アントニウス会.

ハドリアヌス はどりあぬす Publius Aelius Hadrianus (76―138)

日本大百科全書(ニッポニカ)
ローマ皇帝(在位117~138)。五賢帝の三番目の皇帝。トラヤヌス帝(在位98~117)と同じくスペインのイタリカ出身で、トラヤヌス帝の遠縁にあたる。…

プロウィンキア provincia

改訂新版 世界大百科事典
古代ローマでは公職者の職務領域,例えばプラエトルの法秩序維持などをいい,ポエニ戦争以後はイタリア以外のローマ領(属州)もさす。属州の獲得と…

オクタウィア Octavia 生没年:?-前11

改訂新版 世界大百科事典
ローマ皇帝アウグストゥスの姉。最初の夫マルケルスG.C.Marcellusの死後,オクタウィアヌス(アウグストゥス)派とアントニウス派の和約のあかしとし…

カラカラ(Caracalla, Marcus Aurelius Antoninus) からから Caracalla Marcus Aurelius Antoninus (188―217)

日本大百科全書(ニッポニカ)
ローマ皇帝(在位211または198~217。211年までは父セプティミウス・セウェルスと共治)。カラカラはあだ名で、彼が213年以後用いたケルト人の衣服に…

アクティウムの海戦 (アクティウムのかいせん)

改訂新版 世界大百科事典
オクタウィアヌス(アウグストゥス)が,前31年アントニウスとクレオパトラの連合軍を破った古代ローマの海戦。共和政最末期すでに海外に大領土を有…

あんとにぬすぴうすのきねんちゅう【アントニヌス・ピウスの記念柱】

改訂新版 世界大百科事典

マルクス‐アウレリウス‐アントニヌス(Marcus Aurelius Antoninus)

デジタル大辞泉
[121~180]古代ローマの皇帝。在位161~180。五賢帝の最後の皇帝。辺境諸種族との戦いに奔走する一方、ストア学派の哲学者としても知られ、哲人皇…

オクタウィア Octavia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]前69[没]前11ローマ皇帝アウグスツスの姉。ガイウス・オクタウィウスとアチアの娘。前 54年ガイウス・マルケルスと結婚し,1男2女を産んだが,前…

レピドゥス(Marcus Aemilius Lepidus)

デジタル大辞泉
[?~前13]古代ローマの政治家。アントニウス・オクタビアヌスと第二次三頭政治を行ったが、前36年オクタビアヌスと対立、引退させられた。

ホネスティオレス honestiores[ラテン]

改訂新版 世界大百科事典
ローマ帝国元首政期の上層民(名誉ある人びと)。〈フミリオレスhumiliores〉と呼ばれる下層民(卑しい人びと)と社会的身分において区別される。元…

オクタビアヌス(Gaius Octavianus)

デジタル大辞泉
[前63~後14]ローマの初代皇帝。在位、前27~後14。養父カエサルの暗殺後、アントニウス・レピドゥスと第2回三頭政治を組織。のち、アクティウムの…

ブルトゥス

百科事典マイペディア
古代ローマの政治家。英語読みではブルータス。名門の出。小カトーの甥(おい)。共和制理念の護持者で,カエサルのもとで諸官職を歴任したが,前44年…

An・tho・ny /ǽnθəni, ((特に英))-tə-/

プログレッシブ英和中辞典(第5版)
[名]1 アンソニー,アントニー(◇男子の名).2 聖アントニウス(◇Saint Anthony,251?-356?).

An・to・ni・us /æntóuniəs/

プログレッシブ英和中辞典(第5版)
[名]1 アントニウス(Marcus Antonius;⇒Antony 1).2 アントニアス(◇男子の名).

パセオデルリオリバーウォーク【パセオ-デル-リオ-リバーウォーク】 Paseo del Rio Riverwalk

世界の観光地名がわかる事典
アメリカのテキサス州サンアントニオにある遊歩道。ダウンタウン中心部を流れるサンアントニオ川の運河に沿って続く緑豊かな遊歩道で、レストランや…

アントニーとクレオパトラ Antony and Cleopatra

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イギリスの劇作家ウィリアム・シェークスピアの悲劇。 1606~07年頃執筆。トーマス・ノース訳のプルタルコス『英雄伝』による。マルクス・ユニウス・…

アクチウム‐の‐かいせん【アクチウムの海戦】

精選版 日本国語大辞典
( アクチウムはActium ) 紀元前三一年、ギリシア北西部のアクチウム岬沖で、オクタビアヌスがアントニウスとクレオパトラの連合艦隊を破った戦い。オ…

AT&Tセンター

デジタル大辞泉プラス
《AT&T Center》アメリカ、テキサス州サンアントニオにある多目的アリーナ。最大収容人数、約1万9000人。牧畜やロデオの複合イベント、サンアントニ…

セウェルス Severus, Lucius Septimius

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]146. 北アフリカ,レプチス・マグナ[没]211.2. ブリタニア,エボラクムローマ皇帝(在位 193~211)。セプチミウス・セウェルスとも呼ばれる。セ…

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