1世紀末以後の約80年間(96-180)におけるローマ帝国全盛期に,治政に優れた才能を示した相継ぐ5人の皇帝の総称。フラウィウス朝の最後の皇帝ドミティアヌスが恐怖政治を敷き,元老院を軽視したことから,元老院議員によって暗殺されると,名門の元老院議員ネルウァが皇帝に推挙された。以後,皇帝は最善の人が統治者たるべきであるとするストア哲学の考えに従って後継者を選び,その者を養子とした。トラヤヌス,ハドリアヌス,アントニヌス・ピウス,マルクス・アウレリウスと続く治世には,元老院との協調を旨とし属州行政も整備されて,〈パクス・ローマーナ(ローマの平和)〉と呼ばれる繁栄期が訪れた。啓蒙主義時代の歴史家ギボンは,五賢帝の時代を人類史上最も幸福なる時代と語っているが,近年の歴史研究の教えるところでは,肥大化する官僚・軍事機構の財政的負担が,地方都市の有産者層の財力によってかろうじて支えられることのできた時期であり,しだいに政治,経済,社会の諸問題が顕在化してきた時代と言える。
→ローマの平和
執筆者:本村 凌二
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ローマ帝国で相次いで君臨した5人の名皇帝。すなわち、ネルウァ(在位96~98)、トラヤヌス(在位98~117)、ハドリアヌス(在位117~138)、アントニヌス・ピウス(在位138~161)、マルクス・アウレリウス(在位161~180)の諸帝。それぞれりっぱな業績を残し、五賢帝と呼び習わされる。ネルウァ以外の4人の皇帝は、それぞれ前の皇帝により養子とされて帝位についたので、養子皇帝ともよばれる。養子という方法で、帝位継承にまつわる陰惨な争いや暗愚な息子の即位を避けて、最良者を皇帝に迎えることができた。ローマ帝国のこの時代は、全体としてみれば平和と繁栄の時代であり、帝国各地に多数のローマ風の都市が建てられ、属州民もローマ文化の恩恵に浴した。しかしこの繁栄の陰には早くも帝国衰退の影が忍び寄っていた。
[市川雅俊]
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ローマ帝国全盛時代に君臨した5人の名君。すなわちネルウァ,トラヤヌス,ハドリアヌス,アントニヌス・ピウス,マルクス・アウレリウスの諸帝。ピウスまでは男子の実子がなかったため,各皇帝は貴族のなかから最も優秀と思われる者を後継者としたので,優れた皇帝が続き,ローマは内には最大の経済的繁栄と,外には最大の版図とを誇った。
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…そしてこの壮図も彼の後を継いだハドリアヌスがアルメニアとメソポタミアを放棄することによって終りを告げた。ネルウァ,トラヤヌス,ハドリアヌス,アントニヌス・ピウス,マルクス・アウレリウスと続く時代は,ローマ帝国が最も繁栄した黄金時代で,五賢帝時代(96‐180)と呼ばれる。【島 創平】。…
…在位161‐180年。五賢帝の最後。スペイン出の名門に生まれ,幼時にはマルクス・アンニウス・ウェルスMarcus Annius Verusといった。…
…トラヤヌスも,続く3人の皇帝も息子がなかったため,後継帝をあらかじめ指名して養子としたので,ネルウァ(在位96‐98),トラヤヌス(在位98‐117),ハドリアヌス(在位117‐138),アントニヌス・ピウス(在位138‐161),マルクス・アウレリウス(在位161‐180)の5代の養子皇帝時代が続いた。これをアントニヌス朝というが,彼らは〈五賢帝〉と名づけられ,E.ギボンによって〈人類の最も幸福な時代〉と褒めたたえられた。その能力について証明済みの人物のみが帝位に就いたこと,スペイン出身のトラヤヌスやハドリアヌスのように属州出身者が帝位に就いたこと,などが安定の重要な条件であった。…
※「五賢帝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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