ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プロウィンキア」の意味・わかりやすい解説
プロウィンキア
provincia
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古代ローマでは公職者の職務領域,例えばプラエトルの法秩序維持などをいい,ポエニ戦争以後はイタリア以外のローマ領(属州)もさす。属州の獲得と維持は古代帝国ローマの発展と表裏するが,国法上,属州はローマ国土でなく戦地で,属州住民は(ローマと同盟関係にある都市や部族を除き)従属外人とされ,総督が軍隊を率いて統治した。共和政期には一貫した属州政策の欠如から悪政と搾取が横行し,アウグストゥス以降,元首の強権による全属州の掌握と安定が図られた。1,2世紀に東方で新属州を加え,西方属州を中心にローマ化も進み,212年のアントニヌス勅令は帝国の全自由人にローマ市民権を与えた。3世紀後半,元首権力の基盤たる属州軍が元首廃立を繰り返した。大混乱収拾後,ディオクレティアヌスはイタリアを含め全国を101属州に再編し,文官と武官の分掌統治を導入したが,やがて官僚組織の巨大化,硬直化が実効を失わせた。
執筆者:鈴木 一州
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元来は古代ローマの官職の職務領域を意味したが、のちに職務領域としての「属州」を意味するようになった。この意味変化は、紀元前227年新たに追加された2人のプラエトル(法務官)が、最初の海外領シチリアとサルデーニャ・コルシカを職務領域としたことから始まった。属州はその後しだいに増加し、とくに共和政末期ポンペイウス、カエサルによる征服は著しく海外領を増大させた。属州設置にあたっては、征服将軍は元老院の意を受けて属州法を発し、そのなかで境界、政治体制、課税、裁判権、自由・同盟市の承認などローマ統治との関係を定めた。しかし属州総督の権限は在任中ほとんど無制限だったので、多くの属州は総督の収奪に苦しんだ。徴税を担当した請負人publicaniの搾取も属州人を苦しめた。帝政期には全属州は皇帝と元老院とで分掌され、しだいにきめの細かい統治が行われるようになり、紀元2世紀初めまでは属州も拡大した。属州のローマ化も進み、属州出身者で元老院議員や皇帝になる者も現れた。
[弓削 達]
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