アントニヌスピウス(その他表記)Titus Aurelius Fulvus Boionius Antoninus Pius

デジタル大辞泉 「アントニヌスピウス」の意味・読み・例文・類語

アントニヌス‐ピウス(Antoninus Pius)

[86~161]ローマ皇帝在位138~161。元老院からピウス(敬虔けいけんな)の称を贈られ、治世もローマ帝政史上最も平和であった。五賢帝一人

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精選版 日本国語大辞典 「アントニヌスピウス」の意味・読み・例文・類語

アントニヌス‐ピウス

  1. ( Antoninus Pius ) ローマ皇帝(在位一三八‐一六一)。五賢帝の一人。ハドリアヌス帝の養子。その治世はローマ帝政史上最も太平で、元老院からピウス(敬虔)の称号を贈られた。(八六‐一六一

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改訂新版 世界大百科事典 「アントニヌスピウス」の意味・わかりやすい解説

アントニヌス・ピウス
Titus Aurelius Fulvus Boionius Antoninus Pius
生没年:86-161

ローマ皇帝。在位138-161年。五賢帝の一人。ローマ近郊の名家の出で順調に昇進し,ハドリアヌスの顧問団の一員となる。その末年から実権を委ねられ,先帝の死後跡を継ぐ。元老院に説いてハドリアヌスを神として祀(まつ)ったので〈ピウス(敬虔なる者)〉との称をえた。政府権力の強化につとめたが元老院とは協調し,国民には贈与金を与え,貧窮子女のための給費制度をも設けた。ローマとイタリアを重視し,彼自身統治中一度もイタリアを離れなかった。帝国内駅逓制を整え公共建築もすすめたが,冗費節約につとめ死後国庫に多額の財産をのこした。臣下にはきびしく接したが,裁判では寛大で,キリスト教徒への迫害をも緩和した。対外的にも和平を旨とし,ブリタニアではハドリアヌスの城壁北方に新たに城壁を設けた(アントニヌスの城壁)。穏健・質実な姿勢は国民から尊崇され,彼と妻の大ファウスティナのためにローマのフォルムに神殿が建てられた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アントニヌスピウス」の意味・わかりやすい解説

アントニヌス・ピウス
Antoninus Pius

[生]86.9.19. ローマ近郊ラヌウィウム
[没]161.3.7. ローマ近郊ロリウム
ローマ皇帝 (在位 138~161) ,五賢帝の一人でその4番目にあたる。 120年執政官 (コンスル ) 。イタリアの司法行政を支配。のちアシア州総督ハドリアヌス帝の養子となり,その死後即位。元老院と協調し,「敬虔」 Piusの名を得る。穏健で,ほとんどローマを離れずに政治を行なった。治世はおおむね平和,役人の地位を安定させ,属州の負担をやわらげ,冗費を節約,法施行に際しては寛大であった。社会政策も進め,キリスト教迫害を緩和した。外部に対しては防御的で,ブリタニアにアントニヌス長城を築き,ゲルマニアにも防壁を築いた。ブリタニア,ダキア,北アフリカ,ユダヤで小規模な反乱もあったが,政治の中央集権化が進み,安定しており,A.アリスチデスによってその平和がたたえられた。 147年彼の手によりローマ建国 900年祭が行われた。彼の死後養子マルクス・アウレリウスが即位した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アントニヌスピウス」の意味・わかりやすい解説

アントニヌス・ピウス
あんとにぬすぴうす
Antoninus Pius
(86―161)

ローマ皇帝(在位138~161)。五賢帝の4番目の皇帝。執政官級の貴族の家系に生まれ、財務官、法務官を務めた後、34歳で執政官となった。小アジアの総督として名声を博し、ハドリアヌス帝の顧問団に加えられた。篤実な人柄のゆえに同帝の信任も厚く、その後継者として養子に迎えられた。同帝の死後、元老院は「敬虔(けいけん)な」Piusという称号を与えて新帝をたたえている。

 彼の治世は、賞与金の施与、扶養基金の設定、属州の財政負担の軽減が果たされるなかで、公費の節約や規律の遵守が徹底するという、まさしく「ローマの平和」に名実ともにふさわしい時代であった。しかし、元老院との協調関係が重視された反面で、行政機構における中央集権化が進展していたことは見過ごせない。死後は万人の称揚するところに従って神格化され、記念碑や神殿が建てられた。

[本村凌二]


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百科事典マイペディア 「アントニヌスピウス」の意味・わかりやすい解説

アントニヌス・ピウス

ローマ皇帝(在位138年―161年)。五賢帝の一人。ハドリアヌス帝の養子となり,その後を継承。治世はローマ帝国史上最も平穏な時代とみられ,〈ピウス(敬虔(けいけん)な)〉の称号を元老院から贈られた。
→関連項目マルクス・アウレリウス

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アントニヌスピウス」の解説

アントニヌス・ピウス
Titus Aelius Antoninus Pius

86~161(在位138~161)

ローマ皇帝。五賢帝のうちの第4番目。ハドリアヌス帝の養子となり,帝位を継ぐ。ピウス(敬虔な)の称号は元老院から贈られたもの。その治世はローマ帝国史上の最も平穏な時期とみられる。

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旺文社世界史事典 三訂版 「アントニヌスピウス」の解説

アントニヌス=ピウス
Titus Aelius Antoninus Pius

86〜161
ローマの皇帝(在位138〜161)で五賢帝のひとり
ハドリアヌス帝の養子。浪費をしりぞけ,善意にみちた施政を行い,「恵み深きピウス」の名をえた。

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世界大百科事典(旧版)内のアントニヌスピウスの言及

【アントニヌス朝】より

…2世紀のローマ皇帝アントニヌス・ピウス,マルクス・アウレリウス,コンモドゥスを輩出した帝室の家系(138‐192)。ピウス帝は先帝ネルウァ,トラヤヌス,ハドリアヌスの例にならってマルクスを養子に迎え帝位を継承させたが,マルクス帝は実子コンモドゥスを後継者に指名した。…

【五賢帝】より

…以後,皇帝は最善の人が統治者たるべきであるとするストア哲学の考えに従って後継者を選び,その者を養子とした。トラヤヌス,ハドリアヌス,アントニヌス・ピウス,マルクス・アウレリウスと続く治世には,元老院との協調を旨とし属州行政も整備されて,〈パクス・ローマーナ(ローマの平和)〉と呼ばれる繁栄期が訪れた。啓蒙主義時代の歴史家ギボンは,五賢帝の時代を人類史上最も幸福なる時代と語っているが,近年の歴史研究の教えるところでは,肥大化する官僚・軍事機構の財政的負担が,地方都市の有産者層の財力によってかろうじて支えられることのできた時期であり,しだいに政治,経済,社会の諸問題が顕在化してきた時代と言える。…

※「アントニヌスピウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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