ローマ皇帝ハドリアヌスが自身とその一族のためにローマに建設した廟墓。〈聖天使城〉の意。135年に着工され,同帝の死後139年に完成。一辺84mの方形基壇の上に直径64mの円塔をのせ,その頂部を半球形ドームとして土を盛り,糸杉を植え,その中央に戦車を駆る皇帝像が置かれていた。エトルリアの墳墓を継承するこの形式として最大の規模をもつ。590年,流行するペストからの救いを祈った教皇グレゴリウス1世がこの墓の上に大天使ミカエルの姿を見,その像を頂部に据えてからこの名が生まれた。中世以降,教皇の城塞,兵舎,獄舎に転用され,さまざまな政争と政治犯処刑の舞台となった。教皇庁舎とは城壁上の通路(15世紀末)で直結される。古代の外装と装飾彫像は失われ,外観も著しく変えられたが,現在なお当初の石積みを残し,内部は古武器,城塞,墓廟に関する博物館となっている。
執筆者:日高 健一郎
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ローマ市内テベレ川右岸、バチカン市国の手前に建つ城。別名ハドリアヌス廟(びょう)。ローマ皇帝ハドリアヌスが彼自身とその後継者たちの墓として建造したもので、135年ごろ起工、139年アントニヌス・ピウスが完成させた。84メートル四方の基壇の上に直径64メートル、高さ約30メートルの円筒形の建物を建て、その上にエトルリア式の盛り土をして樹木で囲った大墳墓には、セプティミウス・セウェルス帝に至る諸皇帝が埋葬された。ローマ帝国の崩壊後しばしば改造が加えられ、要塞(ようさい)や監獄として使用され、現在は武器博物館となっている。サンタンジェロの名称(「聖天使城」の意)は、590年ペストが流行した際、教皇グレゴリウス1世が城の頂に剣を持った大天使ミカエルの姿を見たという伝説に由来する。なお、この城のあるローマ歴史地区は教皇領、サンパオロ・フォーリ・レ・ムーラ教会とともに世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[篠塚二三男]
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