ローマの弁論家,修辞学者。北アフリカのキルタ出身。アントニヌス・ピウス帝の信を得て,養子マルクス・アウレリウスとウェルスの修辞学の教師に任ぜられた。143年にはコンスルに就任。彼に名声をもたらした数々の演説はいずれも散逸したが,19世紀前半にイタリアのボッビオ修道院からマルクス・アウレリウスとの往復書簡集,その他多くの書簡が発見された。これらは決して高い才能を感じさせるものではないが,彼の修辞学研究の一端をのぞかせると同時に,当時の宮廷のようすもよく伝えている。彼は哲学を嫌い,修辞学の価値を終始一貫して説き,おもにプラウトゥス,大カトー,サルスティウスら古典期以前の作家の文体に範を求めた。弟子を深く愛し,弟子からも愛された。マルクス・アウレリウスは結局哲学の道を選び,哲人皇帝として《自省録》も残したが,師フロントを終生敬愛してやまなかった。
執筆者:三浦 尤三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
front
もろもろの自然現象が及んでいる前面のこと。前線とも。例えば火山帯の外縁,変成作用が及んだ外縁,隆起山塊の縁辺部,氷河の先端,気団の前面・境界線,水塊の接触面など。フロントは本来,立体的な面のことであるが,この面と地表または海面との交線をフロントまたは前線ということが多い。
執筆者:野村 哲
出典 平凡社「最新 地学事典」最新 地学事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…共和政の崩壊によって実際の活動の場を失った弁論は,学校に入り,修辞学となって,すべての学問の基礎としての地位を獲得した。有名な弁論術教師には,演説の見本集を残した大セネカ,《弁論術教程》を著したローマ最大の修辞学者クインティリアヌス,皇帝マルクス・アウレリウスの師フロント,弁論のための資料集を編んだウァレリウス・マクシムスValerius Maximusなどがいる。 白銀時代の最大の作家は小セネカ(以下単にセネカと記す)とタキトゥスであろう。…
※「フロント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 春の季節がもうすぐそこまで来ていること。《 季語・冬 》 〔俳諧・俳諧四季部類(1780)〕[初出の実例]「盆栽の橙黄なり春隣〈守水老〉」(出典:春夏秋冬‐冬(1903)〈河東碧梧桐・高...
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