ナタンジー Natanzī, Mu`īn al-Dīn
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- イラン,チムール朝の歴史家。ファールスを統治したチムールの孫イスカンダルに仕え,1412年にいたる『総合史』 (1413) を著わして献呈した。 14年に…
サマルカンド
- 百科事典マイペディア
- ウズベキスタンの古都。アム・ダリヤ支流のゼラフシャン川河岸にあり,機械,化学,綿花,絹,皮革などの工業が行われる。前10世紀ころからイラン系…
バティンダ Bhatinda
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- インド北西部,パンジャブ州南部の町。アムリッツァルの南約 160kmに位置。周辺の灌漑農耕地で栽培されるコムギ,ヒヨコマメ,ワタなどを集散。スー…
ニザーム・ウッディーン・シャーミー Niẓām al-Dīn Shāmī
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- チムール朝に仕えたイランの歴史家。アゼルバイジャンのシャームの生れ。 1393年バグダードでチムール (帖木児)に仕え,その命によって『ザファル・…
リシャール
- 367日誕生日大事典
- 生年月日:1860年9月29日フランスの社会学者1945年没
カージャール朝 カージャールちょう Qājāriyya
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- イランのトルコ系王朝(1794~1925)。ザンド朝を倒したカージャール族のアーガー・ムハンマドによって開かれた。初期にはホラーサーン地方の統治や…
フマーユーン Humāyūn 生没年:1508-56
- 改訂新版 世界大百科事典
- ムガル帝国第2代皇帝。在位1530-40,1555-56年。帝国の創始者である父王バーブルの死後皇帝位に就き,1535年マールワ,グジャラートを征服したが,ラ…
ハーフィズ・イ・アブルー Ḥāfiz-i Abrū; Shihāb al-Dīn `Abd-Allāh b. Lutf-Allāh
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]? ヘラート[没]1430イラン,チムール朝の歴史家。チムール (帖木児),シャー・ルフ,バイソンゴル 3代に仕える。主著は『 (ニザーム・ウッディ…
ゴール朝 ゴールちょう Ghūrids; Ghūriyān; Āl-i Shansab
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- アフガニスタンを支配したアフガン系ゴール族の王朝 (12世紀後期~13世紀前期) 。ガズニー朝に服属していたゴールのアラー・ウッディーン・ムハンマ…
ソグディアナ Sogdiana
- 改訂新版 世界大百科事典
- 中央アジアのシル・ダリヤとアム・ダリヤの間を流れるゼラフシャン(ザラフシャン)川を中心とする地域の古称。イラン系ソグド人の住地。古代ペルシ…
ゴレスターン条約 (ゴレスターンじょうやく)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 1813年,アゼルバイジャンのゴレスターンGolestān(現,ギュリスターン)でロシアとカージャール朝イランとの間に締結された条約。グリスターンGulis…
アフガニスタン史 アフガニスタンし
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- アフガニスタンは古代よりその地理的条件のため,東西文化交流の中継地として発展したが,他民族の支配を受けることが多かった。前5世紀頃アケメネス…
シャール(Robert Challe) しゃーる Robert Challe (1657―1721)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- フランスの作家。1713年に出版され、長い間忘れられていた小説『フランス名婦伝』によって、17世紀から18世紀に至る小説を考える場合、重要な作家と…
シャール(René Char) しゃーる René Char (1907―1988)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- フランスの詩人。南仏のリール・シュル・ソルグに生まれる。1929年ニームの出版社から『兵器廠(しょう)』を出す。シュルレアリスムの運動に参加し、…
ムハンマド・ゴーリー Muḥammad Ghōrī
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- ?~1206(在位1202~06)アフガニスタンのゴール朝の君主。称号はシバーブ・アッディーン,のちにムイッズ・アッディーン。兄ギヤース・アッディーン…
ファイザバード(アフガニスタン) ふぁいざばーど Faizabād
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- アフガニスタン北東部、バダフシャーン州の州都。人口約6万7000(2001推計)。標高1200メートル、コークチャ川沿いの狭い谷に位置する。遊牧民の夏営…
Shah Rukh(アフシャール朝)【ShahRukh】
- 改訂新版 世界大百科事典
マルコーム・ハーン Malkom Khān, Mīrzā
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]1834. イスファハン[没]1908. スイス近代イランの改革主義者。イスファハン生れのアルメニア人で,1872年ロンドン駐在のイラン大使に任じられた…
ジャハーン・シャー Jahān Shāh b. Qara Yūsuf
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]?[没]1467イラン,黒羊朝第5代の君主 (在位 1439~67) 。チムール朝のシャー・ルフの宗主権のもと,兄弟のイスカンダル (在位 20~38) の跡を継…
サリームガル‐じょう〔‐ジヤウ〕【サリームガル城】
- デジタル大辞泉
- 《Salimgarh Fort》インド北部の都市デリーにある城塞。市街中心部、ジャムナ川沿いに位置し、ムガル帝国時代の城塞ラールキラーの北側に隣接する。1…
シャール(アダム・シャール) しゃーる
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- →アダム・シャール
バダフシャーン〔州〕 バダフシャーン Badakhshān
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- アフガニスタン北東端の州。州都ファイザーバード。北はタジキスタン,南東はパキスタン,さらに東には一部分が中国シンチヤン (新疆) ウイグル (維…
アミーレ・カビール Amīr-e Kabīr, Mīrzā Taqī Khān
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]1798?[没]1852イラン,カージャール朝の王ナーシル・ウッディーン初期の名宰相。カージャール朝の衰退期にあたり,王朝権力を再建しようとした。…
サマルカンド Samarkand
- 旺文社世界史事典 三訂版
- イラン人がソグディアナの中心部に建設した都市ザラフシャン川の南岸にあり,東西貿易の中心地の1つで,前4世紀アレクサンドロス大王の攻撃を受け…
モサッデク Mosaddeq
- 20世紀西洋人名事典
- 1880.(1881.説もあり) - 1967.3.5 イランの政治家,民族主義者。 元・イラン首相。 別名Mohammed〉 モハメド(Mossadegh モサデク。 父はカージャー…
テヘラン(Tehrān/〈英〉Tehran)
- デジタル大辞泉
- イラン‐イスラム共和国の首都。アルボルズ山脈南麓、標高1200メートル近い高原にある。1785年カージャール朝ペルシアがここに首都を移し発展。人口、…
コム こむ Qom
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- イラン中部の都市。ゴムまたはクムともいう。テヘランの南120キロメートルに位置し、標高928メートル。年降水量144ミリメートル。人口77万7677(1996…
ケルマーン けるまーん Kermān
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- イラン南東部の都市。ケルマーン州の州都。テヘランの南東約1100キロメートル、標高1749メートルの高原に位置し、北にルート砂漠を控える。人口38万4…
湯若望【とうじゃくぼう】
- 百科事典マイペディア
- →シャール
焉耆 (えんき) Yān qí
- 改訂新版 世界大百科事典
- →カラシャール
シェール・シャー Shēr Shāh
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 1472/86/90~1545(在位1539~45)インド,イスラーム政権の一つ,スール朝の創始者。スール族のシェール・ハーンは,東部インドのアフガン諸勢力の…
テヘラン
- 精選版 日本国語大辞典
- ( Teheran, Tehran ) イランの首都。エルブルズ山脈の高峰ダマバント山(五六七一メートル)の南麓にある。一七八六年カジャール朝の首都となって以…
焉耆 えんき
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- →カラシャール
テヘラン
- 百科事典マイペディア
- イランの首都。イラン高原の北西部,エルブルズ山脈南麓の標高1220mにあり,夏は暑く乾燥し気温は40℃近くなるが,冬は降雪もある。市街はほぼ正方形…
コロン・ベシャール
- 百科事典マイペディア
- →ベシャール
とう‐じゃくぼう〔タウジャクバウ〕【湯若望】
- デジタル大辞泉
- ⇒アダム=シャール
マーレク・ライーヤト制 マーレク・ライーヤトせい Mālek Ra`ī-yat
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- イランで 1962年末の農地改革以前に支配的であった地主小作制。「マーレク (地主) 」は大商人,部族長,役人などから成り,一般に大都市に住みながら…
ファイザーバード Feyzābād
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- アフガニスタン北東端部,バダフシャーン州の州都。カブール北北東約 300km,コクチャ川渓谷,標高 1200mの険峻な山地に位置する。かつては山間交易…
アダム・シャール
- 改訂新版 世界大百科事典
- →シャール,J.A.
湯若望 (とうじゃくぼう) Tāng Ruò wàng
- 改訂新版 世界大百科事典
- →シャール,J.A.
トルコマンチャーイ条約 (トルコマンチャーイじょうやく)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 1828年にタブリーズの南東,トルコマンチャーイTorkomānchāyで,ロシアとカージャール朝イランとの間で結ばれた外交・通商条約。1813年のゴレスター…
ペルシア(Persia)
- デジタル大辞泉
- イランの旧称。アケメネス朝を始め、セレウコス朝・パルティア帝国・ササン朝の時代を経て、7世紀にアラブの支配下に入り、イスラム化した。9世紀以…
焉耆 えんき
- 旺文社世界史事典 三訂版
- ⇨ カラシャール
カージャール朝 カージャールちょう Qājār
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 1796〜1925イランのトルコ系イスラーム王朝シーア派を信奉するアーガー=ムハンマドが,ゼンド朝を滅ぼして建国。アーガーは1796年,バクー地方に侵…
レザー・シャー・パフラビー
- 百科事典マイペディア
- イラン国王(在位1925年―1941年)。1921年クーデタに成功して軍司令官となり,国政の実権を掌握。1925年カージャール朝に代わりパフラビー朝を創設し…
チムール朝 チムールちょう Timurid; Tīmūr Dynasty
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- 中央アジアの封建国家 (1370~1507) 。チムール (帖木児)は,西はカフカスから東はインド北西部にいたる大帝国を建設した。その死後,孫のハリール・…
ニマットラー・ワリー Ni`mat-allāh Walī; Shāh Nūr al-Dīn Ni`mat-Allāh b. `Abd-Allāh Kirmānī
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]1329/1330. アレッポ[没]1431イラン,チムール朝期の高名な聖者,詩人。ニマットラーヒー神秘主義教団の創設者。 24歳のときメッカを訪れ,ヤー…
イギリス・イラン戦争【イギリスイランせんそう】
- 百科事典マイペディア
- 19世紀中ごろアフガニスタン北西部の要地ヘラートの争奪をめぐって起こった戦争。18世紀以来,英国はインドを守るため,ロシアの南下策に対しアフガ…
ファシーヒー Fasīhī; Fasīh Khwāfī
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]1375. ホラーサーン,ハーフ/ヘラート[没]1442?イラン,チムール朝の歴史家。正しくは Fasīh Aḥmad b. Muḥammad b. Yaḥyā。シャー・ルフに財務官…
シャールード
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