シャール(読み)しゃーる(英語表記)René Char

デジタル大辞泉 「シャール」の意味・読み・例文・類語

シャール(René Char)

[1907~1988]フランス詩人。初期はシュールレアリスムの活動に参加し、ブルトンエリュアールとの共著仕事を遅らせる」を発表。のち、第二次大戦中はレジスタンス運動に参加した。戦後は故郷の南仏に戻り、作品を発表し続けた。詩集主なき槌」「失われた裸像」など。

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精選版 日本国語大辞典 「シャール」の意味・読み・例文・類語

シャール

  1. アダム‐シャール

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャール」の意味・わかりやすい解説

シャール(René Char)
しゃーる
René Char
(1907―1988)

フランスの詩人。南仏のリール・シュル・ソルグに生まれる。1929年ニームの出版社から『兵器廠(しょう)』を出す。シュルレアリスムの運動に参加し、ブルトン、エリュアールとの共著『仕事を遅らせる』Ralentir travaux(1930)を発表する。そのころの詩集に『アルチーヌ』(1930)、『打ち手のない槌(つち)』(1934)がある。

 ロートレアモンランボーを愛し、ギリシアの哲人ヘラクレイトスの思想に影響された。第二次世界大戦では、対独抵抗運動の隊長として活躍し、そのときの体験は散文詩集『眠りの神の書』(1946)のポエジーとなった。この詩集は親友カミュに捧(ささ)げられているが、2人の文学者を結び付けているものは、不条理な世界に対する反抗である。『眠りの神の書』は、それまでの諸作品とともに、詩集『激情と神秘』(1948)となった。

 戦後は故郷に戻って自然のなかに暮らし、生命感と人間信頼にあふれる独自な宇宙的世界を創造する。詩集に『砕かれた詩』(1947)、『内壁草原』(1952)、『恋文』(1953)、『基点頂点を求めて』Recherche de la base et du sommet(1955)などがあり、1983年には、プレイアード叢書(そうしょ)の一巻として全作品がまとめられた。

[窪田般彌]

『ピエール・ゲール編、山本功訳『ルネ・シャール詩集』(1969・思潮社)』『窪田般彌訳『ルネ・シャール詩集』(1971・晶文社)』


シャール(Robert Challe)
しゃーる
Robert Challe
(1657―1721)

フランスの作家。1713年に出版され、長い間忘れられていた小説『フランス名婦伝』によって、17世紀から18世紀に至る小説を考える場合、重要な作家として最近注目を浴びている。この作品には、若い男女たちの恋愛から結婚に至るまでのさまざまなできごとが、17世紀末のパリ背景に、写実的に描かれているからである。

[原 好男


シャール(アダム・シャール)
しゃーる

アダム・シャール

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改訂新版 世界大百科事典 「シャール」の意味・わかりやすい解説

シャール
René Char
生没年:1907-88

フランスの詩人。南フランスのリル・シュル・ラ・ソルグに生れる。シュルレアリスムの運動に参加し,詩集《打手なき槌》(1934)を発表したが,やがて運動を離れて現実参加的な作品を書き,第2次世界大戦中は南フランスでレジスタンスの地下組織の指導者として活躍した。混乱の時代にあって人間の尊厳と明晰さを守り抜こうとする強靱な意志に支えられたレジスタンス文学の傑作《眠りの神の手帳》(1946)をはじめとする作品は,集成詩集《激情と神秘Fureur et mystère》(1948)に収められる。大戦後は故郷に引きこもり,社会問題を超越して,透明な抒情味を加えた作風を示す。ときに謎めいた箴言を思わせるその作品は立体的イメージを簡潔な語法のうちに凝縮し,自然と人間へのゆるぎない信頼に貫かれたものである。また自選詩集《共通の現存》(1964)はそれまでの代表作をテーマ別に集めたものである。戦後フランスを代表する詩人として若い世代に絶大な影響を与え,斬新な作品を発表しつづけてきた。
執筆者:


シャール
Johann Adam Schall von Bell
生没年:1592-1666

ドイツのケルン生れのイエズス会宣教師。天文学を学び,1622年(天啓2)に中国に渡った。漢名は湯若望。はじめ西安で布教活動に従事していたが,明末の1629年(崇禎2)に礼部左侍郎の職にあった徐光啓が宣教師の助力を得て,西洋天文学を基礎として改暦を行うため,西洋天文学書の漢訳を計画した。この翌年,シャールは北京に招かれこの事業に参加し,やがてその中心となった。1633年に徐光啓は亡くなったが,その翌年にこの事業は完了し,135巻にのぼる西洋天文学の叢書《崇禎暦書》となった。明朝はやがて滅び,改暦は行われなかったが,清朝の成立とともに1645年(順治2)から《崇禎暦書》を改編した《西洋新法暦書》に基づいて改暦が行われた。シャールは順治帝の厚遇を受けたが,次の康熙帝の初年にはキリスト教排斥運動にまきこまれ,1666年(康煕5)不遇の中に亡くなった。しかしフェルビーストらによって,再びシャールの仕事は再興された。
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百科事典マイペディア 「シャール」の意味・わかりやすい解説

シャール

フランスの詩人。南フランスのリル・シュル・ソルグ生れ。芸術運動であるシュルレアリスムに関わったのち,スペイン内乱では人民戦線政府側に加わってフランコ軍と戦い,第2次世界大戦中はナチス・ドイツ軍の占領下でレジスタンス運動の指導者として活動した。戦後は故郷での詩作に没頭し,その作風は社会問題を超越し,透明な抒情味を加えたものであった。戦後フランスを代表する詩人の一人で,代表作は《眠りの神の手帖》《激情と神秘》《群島をなす言葉》《共通の現存》など。

シャール

ドイツ出身のイエズス会士。アダム・シャールとも。中国名湯若望。1622年中国に渡り,西安で布教,のち崇禎(すうてい)帝の命による改暦事業に参加,《崇禎暦書》の完成に尽力した。清朝では順治帝の信を得て《時憲暦》を作成,欽天監監正となる。1665年洋暦敵視者により死刑を宣告され,釈放されるも翌年病死。
→関連項目徐光啓フェルビースト

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャール」の意味・わかりやすい解説

シャール
Char, René

[生]1907.6.14. ポークリューズ,リールシュルソルグ
[没]1988.2.19. パリ
フランスの詩人。初めシュルレアリスム運動に加わり,『兵器廠』 Arsenal (1929) ,『主なき槌』 Le Marteau sans maître (34) など,理性の介入を極力排したオートマティスムによる詩を書いたが,1937年グループから離れた。第2次世界大戦中は対独レジスタンスに加わり,当時から戦後にかけて書いた詩によって名声を確立。『ただ残れるは』 Seuls demeurent (45) ,『イプノスの手帳』 Feuillets d'Hypnos (46) ,『狂熱と神秘』 Fureur et Mystère (48) ,『早起き鳥』 Les Matinaux (50) などでは,詩形は極度に簡潔となって難解の度を加えるとともに,郷土プロバンスに根をおろした,男性的で内省的な傾向が著しい。

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世界大百科事典(旧版)内のシャールの言及

【典礼問題】より

…これをうけ1645年,インノケンティウス10世は典礼を厳禁する法令を出したが,イエズス会士は法令の取消し運動を行い,56年,アレクサンデル7世から旧法令を廃止する旨をとりつけた。 17世紀半ばすぎの康熙初年,明・清交代の動乱をのりきり,清朝の天文官としてあったアダム・シャールが死刑の判決をうけ,諸省の宣教師が教派を問わず追放されるという事件が生じた。この危機の中で広東に集合した宣教師達は,56年の法令を尊重することを確認し,典礼問題はひとまず決着をみたのである。…

※「シャール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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