東カリフ国 ひがしカリフこく
- 旺文社世界史事典 三訂版
- アッバース朝の別称。➡ アッバース朝
アッバース家(アッバースけ) al-‘Abbāsīyūn
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- アッバース朝の支配家系。預言者ムハンマドの叔父アッバースの子孫が,預言者の一族による政権の樹立をめざし,政治宗教的な教宣活動を指導。749年ウ…
トゥールーン朝 トゥールーンちょう Tūlūn
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 868〜905アッバース朝のアミールとなったアフマド=ブン=トゥールーンが,エジプトに建てた王朝トゥールーンはトルコ系のマムルーク出身で,アッバ…
アブドゥル・ラフマーン1世 アブドゥル・ラフマーンいっせい `Abd al-Rahmān I
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]731. ダマスカス[没]788.9. コルドバイベリア半島の後ウマイヤ朝の創始者 (在位 756~788) 。ウマイヤ朝第 10代カリフ,ヒシャームの孫。ウマイ…
アブー・アルアッバース Abū al-‘Abbās
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 723~754(在位749~754)アッバース朝の初代カリフ。アッバース家の革命運動を後方から指導したイブラーヒーム・ブン・ムハンマドの急逝により,クー…
イーサー・イブン・ムーサー `Īsā ibn Mūsā
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]699頃[没]783/784. クーファアッバース朝の王族の一人で,初代カリフ,アブル・アッバースと第2代カリフ,マンスールの甥。マンスールは,アッバ…
イブン・アッ・ルーミー
- 367日誕生日大事典
- 生年月日:836年5月19日アッバース朝の詩人896年没
イブン・アルムータッズ
- 367日誕生日大事典
- 生年月日:861年11月2日アッバース朝の王子,詩人908年没
マンスール al-Manṣūr
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 713?~775(在位754~775)アッバース朝の第2代カリフ。アリー家などの反対勢力を弾圧し,アブー・ムスリムを粛清するなど不満勢力を排除。バグダード…
アフマド・ブン・トゥールーン Ahmad b.Ṭūlūn 生没年:835-884
- 改訂新版 世界大百科事典
- エジプト,シリアを支配したトゥールーン朝の創始者。在位868-884年。トルコ系の奴隷軍人を父としてアッバース朝軍内で頭角を現し,868年,エジプト…
アブー=アルアッバース Abū al-‘Abbās
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 724ごろ〜754アッバース朝の創始者(在位749〜754)ムハンマドの伯父アッバースの4代の孫。イランのホラサーンで挙兵し,ウマイヤ朝を打倒,クーフ…
ハールーン・アッラシード Hārūn al-Rashīd
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 763/766~809(在位786~809)アッバース朝の第5代カリフ。バルマク家のヤフヤー,および二人の子ファドルおよびジャーファルを重用し,アッバース朝…
ハールーン・アッラシード
- 百科事典マイペディア
- アッバース朝第5代のカリフ(在位786年―809年)。バルマク家のヤフヤーなどを重用し,アッバース朝の最盛期を現出。詩人・楽士を保護し,数次の小ア…
サッファーフ al-Saffāḥ 生没年:723ころ-754
- 改訂新版 世界大百科事典
- アッバース朝の初代カリフ。在位750-754年。通称アブー・アルアッバースAbū al-`Abbās。ムハンマドの叔父アッバースの子孫。打倒ウマイヤ朝のアッバ…
アリー・イブン・イーサー `Alī ibn `Īsā
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]859. ダイルクンナー[没]946. バグダードアッバース朝第 18代カリフ,ムクタディルのワジール (宰相) 。政治権力をトルコ人軍人階級から官僚の手…
Ha・run al-Ra・shid /hɑːrúːn ɑːlrɑːʃíːd | hærúːn ælræ-/
- プログレッシブ英和中辞典(第5版)
- ハールーン・アッラシード(◇764?-809;アッバース朝のカリフ;Arabian Nightsの伝説的英雄).
ザーブ川の戦い ザーブがわのたたかい Zāb
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- 750年,ウマイヤ朝の軍が新興のアッバース朝の軍に敗れ,ウマイヤ朝滅亡の直接の原因となった戦い。イラク北部の都モスルの南,チグリス川に東方から…
杜 環 とかん
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 生没年不詳8世紀半ばごろの唐の著述家タラス河畔の戦いでイスラーム軍の捕虜となり,10年余りをアッバース朝の支配下に過ごし,海路広州に帰着。その…
マンスール(アッバース朝) Abū Ja'far al-Manṣūr
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 713ごろ〜775アッバース朝の第2代カリフ(在位754〜775)初代カリフのサッファーフの後を継いだ,アッバース朝の事実上の創設者。ウマイヤ朝打倒の…
ハールーン=アッラシード Hārūn al-Rashīd
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 763ごろ〜809アッバース朝の第5代カリフ(在位786〜809)内政を整備し,外交面では小アジアに侵入し,カール大帝(1世)とも使節を交換したとされ…
ムワッファク al-Muwaffaq
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]?[没]891. バグダードアッバース朝 (750~1258) 第 15代カリフ,ムータミドの弟。将軍として彼は,東のサッファール朝軍のバグダードへの進撃を…
アリー・アッリダー `Alī al-Riḍā'
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]765. メジナ[没]818. トゥースシーア派の分派である十二イマーム派の第8代イマーム。アッバース朝のカリフ,マームーンから次代カリフに指名され…
黒衣大食 こくいタージー
- 旺文社世界史事典 三訂版
- アッバース朝の中国における呼称王家使用の黒旗黒衣が由来ともいう。「大食」とは唐代の中国人がアラビア人・イスラーム教徒をさした呼称。
ホラサーン Khurāsān
- 旺文社世界史事典 三訂版
- イラン北東部の地方。「太陽の昇る地」の意歴史的にはアム川以南,ヒンドゥークシ山脈以北の地域を含み,北方遊牧民が中央アジアを南下してインド・…
アブド・アッラフマーン[1世] `Abd al-Rahmān Ⅰ 生没年:731-788
- 改訂新版 世界大百科事典
- 後ウマイヤ朝の創建者。在位756-788年。祖父はウマイヤ朝第10代カリフ,ヒシャーム。750年ウマイヤ朝の滅亡により北アフリカに逃れ,756年スペインに…
アブド・アッラフマーン1世(アブド・アッラフマーンいっせい) ‘Abd al-Raḥmān Ⅰ
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 731~788(在位756~788)後ウマイヤ朝の初代君主。シリアのウマイヤ朝の一族で,アッバース朝に追われてアンダルスに逃れ,その支配者となった。即位…
ヤークービー Ya`qūbī 生没年:?-897
- 改訂新版 世界大百科事典
- イスラムの歴史家,地理学者。アラブ系で,先祖はアッバース朝カリフのマウラー(解放奴隷)。青年期をアルメニアで過ごしたが,のちホラーサーンの…
マンスール al-Manṣūr 生没年:713ころ-775
- 改訂新版 世界大百科事典
- アッバース朝第2代のカリフ。在位754-775年。異母弟の初代カリフ,サッファーフの4年間の治世の後を受けた,アッバース朝体制の実質上の創設者。精力…
ジャフシヤーリー al-Jahshiyārī, Abū `Abd Allāh Muḥammad ibn `Abdūs
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]? クーファ[没]942. バグダード?アラブ,アッバース朝の文人官僚。宰相アリー・イブン・イーサーの侍従。アスマール asmār (夜語り) と呼ばれる…
サッファーフ さっふぁーふ al-Saffā (723ころ―754)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- アッバース朝の初代カリフ(在位750~754)。通称はアブル・アッバース。預言者ムハンマド(マホメット)の叔父アッバースの子孫。ウマイヤ朝を打倒…
イスラム帝国 いすらむていこく Islām
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- イスラム教徒が西アジアを中心に建設した大帝国。中世ヨーロッパではサラセン帝国とよんだ。632年預言者ムハンマド(マホメット)の死の翌日、メディ…
トゥールーン朝(トゥールーンちょう) Ṭūlūn
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 868~905エジプト,シリアを支配した軍事政権。アッバース朝カリフの奴隷軍人アフマド・ブン・トゥールーンが,エジプト総督代理として派遣され,事…
ムカンナー al-Muqanna`
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]?[没]779アッバース朝時代の反乱者。本名 Hāshim ibn Ḥākim。ムカンナーはアラビア語で「覆面の預言者」の意。メルブの洗い張り屋の出身であった…
マーワルディー al-Māwardī, Abū al-Ḥasan `Ali ibn Muḥammad
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]974[没]1058. バグダードイスラムの四大法学派の一つシャーフィイー派の法学者。イラクのバスラおよびバグダードで学び,一時はニシャプール付近…
アミール・アルムーミニーン amīr al-mu'minīn
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- 「イスラム教徒の指揮者」を意味するアラビア語。第2代カリフ,ウマル1世が初めて称号として用い,以後ウマイヤ朝,アッバース朝,ファーティマ朝,…
ザンジュの乱 ザンジュのらん Zanj
- 旺文社世界史事典 三訂版
- アッバース朝の支配を動揺させた黒人奴隷の反乱(869〜883)ザンジュはアフリカ東岸の黒人奴隷の意。イラクのバスラで酷使に反抗。首謀者アリー=ビ…
イブン=ファドラーン Aḥmad Ibn Faḍlān
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 生没年不詳アッバース朝の使者10世紀に南ロシアに派遣され,その見聞記『ヴォルガ・ブルガール紀行』を残した。これは南ロシア・中央アジアの諸民族…
サーマーン‐ちょう〔‐テウ〕【サーマーン朝】
- デジタル大辞泉
- 《Sāmān》875年にナスル1世がアッバース朝から独立して創始したイランの王朝。中央アジアとイラン東部を支配したが、カラハン朝の侵入によって999年…
タバリー
- 百科事典マイペディア
- アッバース朝のイスラム神学・史学者。西アジア各地,エジプトを遊歴の後,バグダッドに定住。ハディースを収集したほか,イスラム世界初の年代記で…
ティモテオス[1世] Timotheos Ⅰ 生没年:728-823
- 改訂新版 世界大百科事典
- ネストリウス派のカトリコス。在位780-823年。ネストリウス派教会の黄金時代を実現させた。アッバース朝の厚遇のもとでともすれば腐敗に陥りがちな教…
トゥールーン朝美術 トゥールーンちょうびじゅつ Tulunid art
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- 9世紀後半,エジプトのカタイを中心として発展したトゥールーン朝のイスラム美術。メソポタミアのアッバース朝様式(→アッバース朝美術)を移植しな…
アブー・ムスリム Abū Muslim
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]?[没]755. バグダードアッバース家 (→アッバース朝 ) の革命運動の指導者。出身も本名もあえて秘密にしていた。ホラーサーンの地で反ウマイヤ家…
アンバール al-Anbār
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- イラクのバグダード西方約 100kmのユーフラテス川左岸にあった古代メソポタミアの町。交通の要衝として栄えたが,363年ローマ皇帝ユリアヌスにより破…
イフシード朝 いふしーどちょう Ikhshīdids
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 935年にムハンマド・ブン・トゥグジュがアッバース朝から実質的に独立して建てたエジプトの王朝。939年にムハンマドはアッバース朝からイフシードと…
西カリフ国 にしカリフこく Western Caliphate
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 後 (こう) ウマイヤ朝の別称都はコルドバ。バグダードを都とするアッバース朝を東カリフ国という。
マンスール(Abū Ja‘far al-Manūr) まんすーる Abū Ja‘far al-Manūr (713ころ―775)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- アッバース朝第2代カリフ(在位754~775)。異母弟の初代カリフ、サッファーフの4年間の治世の後を受けたアッバース朝体制の実質上の建設者。精力的…
サーマン朝 サーマンちょう Sāmānids; Sāmāniyān
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- トランスオクシアナおよびイラン東部を支配したイラン系王朝 (875~999) 。バルフ地方の豪族サーマン家は9世紀初めにはアッバース朝に仕えて東部イラ…
バルマク家 バルマクけ Barmak
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- 初期アッバース朝時代の名家。第1代カリフ,アブル・アッバース (在位 749~754) から第5代カリフ,ハールーン・アッラシード (在位 786~809) の時…
トゥールーン朝 (トゥールーンちょう) Ṭūlūn
- 改訂新版 世界大百科事典
- アフマド・ブン・トゥールーンの創始したエジプト・シリアにまたがる王朝。868-905年。アフマド・ブン・トゥールーン(在位868-884)はトルコ系軍人…
カリフ かりふ caliph
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- イスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)没後の、イスラム社会の最高指導者をいう、イスラム政治学での用語。アラビア語ではハリーファkhalīfa(…