アドリアノープル
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- →エディルネ
アドリアノープル条約【アドリアノープルじょうやく】
- 百科事典マイペディア
- 1829年ギリシア解放戦争後,アドリアノープルでロシアとオスマン帝国(トルコ)間に結ばれた条約。この戦争中,バルカンへの南下をめざすロシアはト…
アドリアノープル
- 精選版 日本国語大辞典
- ( Adrianople ) トルコ北西部の都市、エディルネの旧名。イスラム教の聖地。
アドリアノープル
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- ⇒エディルネ
ムラト1世 ムラトいっせい Murat I
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]1326[没]1389.6. コソボオスマン帝国第3代スルタン (在位 1362頃~89) 。アンカラ,アドリアノープル (現エディルネ) ,フィリッポポリスの攻略…
アドリアノープル条約 (アドリアノープルじょうやく)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 1829年9月14日オスマン帝国とロシアとの間に締結された露土戦争の終結をめぐる講和条約。1821年以降,本格化したギリシア独立運動(ギリシア解放戦争…
エディルネ
- 百科事典マイペディア
- トルコのヨーロッパ側の同名県の主都。旧名アドリアノープル。トラキア平野の西端にあり商工業の中心地。歴史的建築物が多い。紀元前のトラキア時代…
エディルネ Edirne
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- バルカン半島南東部の都市。旧名アドリアノープルはローマ皇帝ハドリアヌスに由来する。1361?~1453年の間オスマン帝国の首都であった。イスタンブ…
ギリシャ‐どくりつせんそう〔‐ドクリツセンサウ〕【ギリシャ独立戦争】
- デジタル大辞泉
- 15世紀以来オスマン帝国の支配下にあったギリシャの独立戦争。1821年から1829年まで続いたが、ロシア・フランス・イギリスがギリシャを支援したため…
エディルネ(Edirne)
- デジタル大辞泉
- トルコ北西部の都市。ギリシャ・ブルガリアとの国境近く、メリチ川とその支流トゥンジャ川の合流点に位置する。古代ローマ時代、皇帝ハドリアヌスが…
アドリアノープル条約 アドリアノープルじょうやく Adrianople
- 旺文社世界史事典 三訂版
- ギリシア独立戦争後の1829年9月,ロシアとオスマン帝国間に結ばれた条約この戦争中,ロシアはオスマン帝国を破ってアドリアノープルを占領し,この…
ムラト(1世) Murat Ⅰ
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 1325〜89オスマン帝国第3代スルタン(在位1359〜89)1362年アドリアノープル(エディルネ)を攻略し,首都を小アジアのブルサからここに移す。1389…
スタウラキウス Stauracius
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]?[没]812.1. コンスタンチノープルビザンチン皇帝 (在位 811) 。ニケフォルス1世の息子。 811年春父帝とともにブルガリア征討軍に加わり,いった…
アドリアノープルの戦い(アドリアノープルのたたかい) Adrianople
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 378年,フン族の攻撃を逃れてローマ属州トラキアに到来したゴート人のなかで,領内定着を許されなかった東ゴート族の一派グレウトゥンギ9万人がロー…
エディルネ えでぃるね Edirne
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- トルコ西部、ヨーロッパ側の西端にあってギリシアとの国境に接する都市。エディルネ県の県都。人口11万9298(2000)。メリチ川とその支流トゥンジャ…
ウァレンス Flavius Valens
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 328~378(在位364~378)ローマ皇帝。ウァレンティニアヌス1世の弟で,その共同統治者として帝国東部を統治した。376年フンに圧迫された西ゴートがド…
あどりあのーぷる【アドリアノープル】
- 改訂新版 世界大百科事典
ブライラ ぶらいら Brǎila
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- ルーマニア南東部、ブライラ県の県都。ドナウ川の下流、ルーマニア平原の東端にある河港都市。人口21万6929(2002)。町は古くから存在したが、記録…
ムラト1世(ムラトいっせい) Murat Ⅰ
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 1326~89(在位1360~89)オスマン朝の第3代スルタン。トラキアに進出してエディルネ(アドリアノープル)を取得,ブルサからこの地に遷都(1365年)した。…
ハドリアヌス Publius Aelius Hadrianus
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 76~138(在位117~138)ローマ皇帝。ヒスパニアの出身。政界に進み,トラヤヌス帝のあと帝位を継ぐ。五賢帝のうちの第3番目にあたる。前帝の対外積極…
アドリアノープル あどりあのーぷる Adrianople
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- トルコ北西部、エディルネ県の県都エディルネの旧称。[編集部][参照項目] | エディルネ
ブリュエンニオス Bryennios, Nikēphoros
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]1062. アドリアノープル[没]1137. シリアビザンチンの歴史家。皇帝アレクシウス1世の娘アンナ・コムネナと結婚し,帝位を目指したが失敗。義母の…
ウァレンス Valens
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]328頃[没]378.8.9.ローマ皇帝 (在位 364~378) 。兄のウァレンチニアヌス1世と共治。東方を支配。プロコビウスの反乱を鎮圧,西ゴート,ササン朝…
フリチゲルン Fritigern
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]?[没]382頃ゲルマン民族の一部族西ゴート人の族長。西ゴートがフン族の移動を受け,ドナウ川下流左岸ダキア地方を追われると,西ゴートの一部を…
ギリシア解放戦争【ギリシアかいほうせんそう】
- 百科事典マイペディア
- 1821年―1829年に行われた戦争。オスマン帝国の支配下にあったギリシアは1821年ペロポネソス半島で反乱を起こし,翌年独立を宣言。オスマン帝国はエジ…
アドリアノープル和約 アドリアノープルわやく Treaty of Adrianople; Treaty of Edirne
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- エディルネ条約とも呼ばれる。 1829年9月 14日,ロシアとトルコとの間に結ばれた講和条約。 28年ギリシア独立戦争に干渉したロシアは,翌 29年8月コ…
アドリアノープル(Adrianople)
- デジタル大辞泉
- トルコ北西部の都市エディルネの旧称。
アドリアノープルの戦い あどりあのーぷるのたたかい
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- ゲルマン民族大移動の発端をなす西ゴート人と東ローマ軍との戦い。東方からのフン人の進出に追われた西ゴート人は東ローマと盟約を結び、376年ローマ…
エディルネ Edirne
- 改訂新版 世界大百科事典
- トルコ共和国のヨーロッパ領北西端,ギリシア国境近くに位置し,同名県の県都。人口12万2932(2003)。アジアとヨーロッパを結ぶ交通上の要路に位置…
ブカレスト条約 ブカレストじょうやく Treaty of Bucharest
- 旺文社世界史事典 三訂版
- ①1913年に結ばれた第2次バルカン戦争の終結条約②第一次世界大戦中の1918年,ドイツ・オーストリアに敗れたルーマニアが結んだ講和条約ブルガリアは…
ボードアン1世 ボードアンいっせい Baudouin I
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]1172[没]1205.4.ラテン帝国第1代皇帝 (在位 1204~05) 。ボードアン5世の子。フランドル伯となり,イングランドのリチャード1世側につき,フラン…
アドリアノープルの和 あどりあのーぷるのわ
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 1829年9月アドリアノープルAdrianople(現在のトルコ領エディルネ)でロシアとトルコとの間に結ばれた講和。イギリスおよびフランスと並んで、オスマ…
ウァレンス うぁれんす Flavius Valens (328ころ―378)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- ローマ皇帝(在位364~378)。パンノニア出身。兄ウァレンティニアヌス1世により共治帝としてコンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)を首…
西ゴート(にしゴート) Visigoths
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- ゴートの一部族。4世紀後半,フンの西進により東ゴートと分かれ,ドナウ川を渡り南下,ローマと接触した(アドリアノープルの戦い)。5世紀初め,アラ…
ムラト(1世) むらと Murat Ⅰ (1326―1389)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- オスマン帝国の第3代スルタン(在位1362~89)。オスマン帝国の始祖オスマンの孫。ブルサの知事を務めたのち、即位。即位後、バルカン半島に進撃し、…
ブライラ Brǎila
- 改訂新版 世界大百科事典
- ルーマニア平原の北東端に位置し,ドナウ川に臨む河港都市。同名県の県都。人口21万8984(2005)。古代ギリシア時代にはプロイラボンの地名で知られ…
ヨハネス3世 ヨハネスさんせい Johannes III Ducas Vatatzes
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]1193[没]1254.11.3. ニムファエウムニカイア帝国皇帝 (在位 1222~54) 。ヨハンネス (ヨアンネス) 3世とも呼ばれる。テオドルス1世の娘イレネの…
ヨハネス(5世) よはねす Johannes V (1332―1391)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- ビザンティン皇帝(在位1341~76、1379~91)。父アンドロニコス3世の死後9歳で即位。母アンナの摂政(せっしょう)に反対する元宰相カンタクゼノス(…
エディルネ Edirne
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- トルコのヨーロッパ部分にある都市。旧称アドリアノープル。ローマ時代はハドリアノポリスと呼ばれた。エディルネ県の県都。ギリシア,ブルガリアと…
露土戦争【ろとせんそう】
- 百科事典マイペディア
- ロシア・トルコ戦争とも。クリミア戦争(1853年―1856年)に敗れてロシアの南下政策は停滞したが,1875年以後のオスマン帝国(トルコ)支配下のスラブ…
ヨハネス(3世) よはねす Johannes Ⅲ (1193―1254)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- ビザンティン皇帝(在位1222~54)。第4回十字軍のためニカイアに亡命した皇帝テオドロス1世の娘イレーネの夫。義父の死後即位。有能な軍人で、ポイ…
五本山 ごほんざん
- 旺文社世界史事典 三訂版
- ローマ・コンスタンティノープル・アンティオキア・イェルサレム・アレクサンドリアの総大司教座教会アンティオキア以下の3教会は7世紀以降イスラ…
ロンドン会議 ロンドンかいぎ
- 旺文社世界史事典 三訂版
- ①ギリシア独立が国際的に承認された会議(1830)②第2回エジプト−トルコ戦争処理のために開催された国際会議(1840)ギリシア独立戦争に勝利したギリ…
バルカン戦争 (バルカンせんそう)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 1912-13年の2回にわたって行われたバルカン半島諸国間の戦争。この戦争によってバルカンのキリスト教諸国はトラキアを除くヨーロッパのオスマン帝国…
ウァレンス Flavius Valens 生没年:328ころ-378
- 改訂新版 世界大百科事典
- ローマ皇帝。在位364-378年。兄ウァレンティニアヌス1世により東の共治帝とされる。373年以降ペルシアとの戦争に従事,また375年にはフンの西進に圧…
ミカエル1世 ミカエルいっせい Michael I Rhangabe
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]?[没]843ビザンチン皇帝 (在位 811~813) 。「強い手の持主」 Rhangabeの別名をもつ。ニケフォルス1世の婿で,執事をつとめる。 811年義父の皇帝…
バシリウス1世 バシリウスいっせい Basilius I
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]827[没]886.8.29.ビザンチン皇帝 (在位 867~886) 。アドリアノープル近郷の農民の出ながら中央に進出,皇帝ミカエル3世に認められ昇進。 867年9…
ヴェネツィア Venezia
- 旺文社世界史事典 三訂版
- イタリア北東部,アドリア海の北岸にある水上都市。118の島からなり,運河を通路とする。英語名はヴェニス5世紀にアッティラの侵入を避けた難民によ…
五大本山(ごだいほんざん)
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- キリスト教会においてはローマ,アレクサンドリア,アンティオキア,コンスタンティノープル,イェルサレムの総大司教座教会の総称。その管轄権はそ…
ギリシア独立戦争 ギリシアどくりつせんそう
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 15世紀以降,オスマン帝国の支配下にあったギリシアが,1821年に起こした独立戦争1814年ごろからヘタイリア−フィリケと呼ばれる秘密結社が結成され,…