メンデルゾーン(英語表記)Erich Mendelsohn

改訂新版 世界大百科事典 「メンデルゾーン」の意味・わかりやすい解説

メンデルゾーン
Erich Mendelsohn
生没年:1887-1953

ドイツ,後にアメリカで活躍した建築家。東プロイセンアレンシュタインAllenstein生れ。ベルリンミュンヘンで学んだ後,ベルリンで事務所を開く。処女作ポツダムアインシュタイン塔(1921)はドイツ表現主義建築の代表作として知られる。ケムニッツのショッケン百貨店(1929),ベルリンの映画館ユニフェルスム(1929)などの作品は次の世代に大きな影響を与えた。1933年ドイツを離れ,イギリスにいくつかの作品を残した後,41年サンフランシスコ定住後期の作品には同地のマイモニデス健康センター(1946)が知られる。またパレスティナのワイズマン邸(1936)などイスラエルにも作品が多い。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「メンデルゾーン」の意味・わかりやすい解説

メンデルゾーン
めんでるぞーん
Erich Mendelsohn
(1887―1953)

ドイツ生まれの建築家。東プロイセンのアレンシュタイン生まれ。ベルリンとミュンヘンの工科大学で建築を学ぶ。彼の最初の作品は、戦時下に描きためられていたスケッチを『鋼とコンクリートの建築』として1919年にベルリンで発表した作品集で、そのなかで具体化されたものに、人間の意志と表情を豊かに示したポツダムのアインシュタイン塔(1919~21)があり、第一次世界大戦後の表現主義建築における代表者となった。20年代後半には合理主義に移行しながらも、なお表現主義的色彩の強いシュトゥットガルト(1927)およびケムニッツ(1928)のショッケン百貨店などを残した。33年からナチス圧迫を避けてベルギー、イギリス、パレスチナ遍歴、41年アメリカに移住し、48年アメリカ国籍を得、サンフランシスコに没した。アメリカでの作品に、多様なデザインの一連ユダヤ教会がある。

[高見堅志郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メンデルゾーン」の意味・わかりやすい解説

メンデルゾーン
Mendelsohn, Erich

[生]1887.3.21. 東プロイセン,アレンシュタイン
[没]1953.9.15. サンフランシスコ
ドイツ,アメリカで活躍したユダヤ系の建築家。ベルリン,ミュンヘンで学び,1910年代後期顕著となりはじめていた表現主義運動に関心をもつ。ドイツ表現主義建築の代表作といわれるポツダムのアインシュタイン塔 (1920~24) を設計。以後水平線の強調された機能主義的なデザインへと転向し,シュツットガルトのショッケン百貨店 (26~28) を設計。鉄とコンクリートの生み出す建築の新しい造形美の探究を試みた。 1933年ナチスに追われてイギリスに渡り,同地および 34年頃よりパレスチナで活動,41年以降サンフランシスコに定住し,多数のユダヤ教のシナゴーグ,セントルイス市のコミュニティ・センター (46~50) などを設計した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「メンデルゾーン」の意味・わかりやすい解説

メンデルゾーン

ドイツの建築家。東プロイセン,アレンシュタインのユダヤ商人の家に生まれる。ベルリンとミュンヘンで学び,1912年ベルリンに事務所を設立。1919年,第1次大戦中に書きためた建築ドローイングの個展を開き,反響を呼ぶ。処女作〈アインシュタイン塔〉(ポツダム,1921年)は表現主義建築の代表作として知られる。ショッケン百貨店(ケムニッツ,1929年)などを設計したのち,ナチス政権下のベルリンを逃れてロンドンに渡り,1941年サンフランシスコに移住。同地でマイモニデス健康センター(1946年)などを設計した。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のメンデルゾーンの言及

【アインシュタイン塔】より

…強い重力場から出る光の波長は赤い方へずれるというアインシュタインの一般相対性理論を太陽について検証しようとして建てられたため,この名がある。アインシュタインが,その助手を介して,ユダヤ人仲間の建築家E.メンデルゾーンに設計を委託。メンデルゾーンは近代的な建築構法である鉄筋コンクリート造の彫塑的な造形性に期待し,力動的な造形理論を唱え,力強いタッチの建築スケッチを描いていたが,この観測館はそれを具体化したもの。…

【近代建築】より

…幾何的抽象の美学を建築にもたらそうとする考えはG.T.リートフェルト,J.J.P.アウトら,〈デ・ステイル〉グループの建築家によっても,またサンテリアなどのイタリア未来派の建築家たちによっても提唱された。しかしその一方で,抽象的ではあるが彫塑的な性格の強い造形を行うE.メンデルゾーンらのドイツ表現主義の建築家たちもいた。さらには,パリでの国際装飾博覧会(1925)に名称の起源をもつアール・デコと呼ばれる直線的な装飾性をもつ建築がニューヨークの摩天楼(スカイスクレーパー)や商業建築の様式を支配していたし,欧米の銀行や公共建築の大部分はなおもバロックを基調とした歴史的様式でつくられていた。…

※「メンデルゾーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」