中日新聞(読み)ちゅうにちしんぶん

精選版 日本国語大辞典 「中日新聞」の意味・読み・例文・類語

ちゅうにち‐しんぶん【中日新聞】

日刊新聞。明治二一年(一八八八)創刊の新愛知と同三九年創刊の名古屋新聞とが合併し、昭和一七年(一九四二)九月一日、中部日本新聞題号発刊、同四〇年一月、改題。中日新聞社本社名古屋・東京・金沢にあり、同四二年に吸収した東京新聞を継続発行しているほか北陸中日新聞中日スポーツ東京中日スポーツなどを系統紙として発行している。

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デジタル大辞泉 「中日新聞」の意味・読み・例文・類語

ちゅうにち‐しんぶん【中日新聞】

中日新聞社が発行する日刊ブロック紙同社の本社は名古屋市にある。愛知の新聞2紙が昭和17年(1942)に統合し「中部日本新聞」として発刊。昭和40年(1965)に現紙名に改題。愛知・岐阜三重静岡など東海地区で広く読まれ、傘下に東京新聞などをもつ。発行部数は約188万部(2022年下期平均)。
[補説]中日新聞の部数の推移
2010年…270万部
2011年…268万部
2012年…266万部
2013年…264万部
2014年…253万部
2015年…245万部
2016年…245万部
2017年…236万部
2018年…227万部
2019年…219万部
2020年…208万部
2021年…197万部
2022年…188万部
(各年の下期平均部数)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中日新聞」の意味・わかりやすい解説

中日新聞
ちゅうにちしんぶん

名古屋市の中日新聞社が発行、おもに中部地方全域で購読されている日本最大のブロック紙。名古屋の二大有力紙『新愛知』(1888年創刊)と『名古屋新聞』(1906年創刊)が1942年(昭和17)9月1日に合併し、『中部日本新聞』として発足、1965年(昭和40)題号を『中日新聞』に変更した。第二次世界大戦後、新聞製作全般にわたる技術革新を率先採用、意欲的な新聞づくりを続け、中部地方最大の有力新聞に発展した。1967年、東京新聞社から新聞発行の営業権の譲渡を受け『東京新聞』の発行本社ともなる。1971年、社名を中部日本新聞社から中日新聞社に変更、名古屋本社のほか北陸本社(金沢市)、東京本社、東海本社(浜松市)の4本社制とした。金沢で『北陸中日新聞』、東京で『東京新聞』のほか、『中日スポーツ』『東京中日スポーツ』『日刊県民福井』を発行している。共同通信社に加盟する一方、中部地方や関東地方に幅広く支社、支局の取材ネットワークを構築するとともに、海外にもワシントン、ロンドン、パリ、モスクワ、北京など13都市(2010)に支局を設置し、独自記事による充実した紙面づくりを行っている。『中日新聞』は販売部数において愛知県で圧倒的なシェアを誇り、三重県、岐阜県でもトップである。販売部数は、朝刊約270万7000部、夕刊約55万6000部(2010)。日本ABC協会に加盟する一般紙『中日新聞』『北陸中日新聞』『東京新聞』の合計部数は、朝刊約335万7000部、夕刊約81万部(2010)。

[高須正郎・伊藤高史]

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改訂新版 世界大百科事典 「中日新聞」の意味・わかりやすい解説

中日新聞 (ちゅうにちしんぶん)

愛知,岐阜,三重3県を中心に東海・北陸地方,長野県南部を配布地域とするブロック紙。1942年,戦時新聞統合で名古屋の二大紙《新愛知》と《名古屋新聞》が合併して《中部日本新聞》を創刊,65年《中日新聞》と改題した。1960年金沢で《北陸中日新聞》を創刊,現在は両本社をファクシミリで結んで紙面を制作,発行している。第2次大戦後,いち早くカラー印刷の研究・開発にとりくみ,新聞制作の近代化をはかるとともに,経営管理システムの合理化にもとりくみ,新聞界をリードしてきた。54年《中日スポーツ》,56年《東京中日スポーツ》を創刊したほか,67年には東京新聞社を合併(《東京新聞》)。81年には浜松でもファクシミリで紙面を電送し印刷発行するなど,中日新聞社は名古屋,北陸(金沢),東京,東海(浜松)の4本社を有し,関東,中部,近畿にまたがる広域紙に発展している。中日グループの新聞の総発行部数は日本第4位で,83年現在285万6124部。またプロ野球中日ドラゴンズの親会社でもある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中日新聞」の意味・わかりやすい解説

中日新聞
ちゅうにちしんぶん

ブロック紙中最大の発行部数を有する愛知,岐阜,三重の東海3県を中心とする名古屋の新聞。 1942年の新聞統合令で『新愛知』 (1888.7.創刊) と『名古屋新聞』 (1906.11.創刊) の2紙が合併して,『中部日本新聞』になった。当時の発行部数は 63万余。第2次世界大戦後は順調に発展を続け,60年 11月から『北陸中日新聞』の発行を始め,67年 10月には『東京新聞』の営業権を獲得し,継続発行している。 71年9月新社屋完成を機に『中日新聞』と改題した。以上3紙の合計部数は朝刊 326万 5312部,夕刊 121万 7308部 (1996) 。ほかに『中日スポーツ』『東京中日スポーツ』 (部数合計約 70万) も発行している。

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百科事典マイペディア 「中日新聞」の意味・わかりやすい解説

中日新聞【ちゅうにちしんぶん】

1942年新愛知新聞社と名古屋新聞社の合併で発足した中部日本新聞社が発行。本社は名古屋,北陸(金沢),東海(浜松),東京。朝刊発行部数約334万部,夕刊約117万部(1997)。1967年に東京新聞社を合併し,《東京新聞》を継続発行。ほかに《北陸中日新聞》《中日スポーツ》《東京中日スポーツ》を発行。

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デジタル大辞泉プラス 「中日新聞」の解説

中日新聞

株式会社中日新聞社が発行する新聞。主な販売地域は愛知県、岐阜県、三重県、滋賀県、福井県、長野県。静岡県版もある。1942年、戦時下の新聞統合政策により「名古屋新聞」と「新愛知」が合併、「中部日本新聞」として創刊。1965年、現称となる。

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