デジタル大辞泉
「東京新聞」の意味・読み・例文・類語
とうきょう‐しんぶん〔トウキヤウ‐〕【東京新聞】
中日新聞東京本社が発行する日刊紙。中日新聞と合わせてブロック紙として扱われる。東京の新聞2紙が昭和17年(1942)に統合し、夕刊紙として創刊。昭和42年(1967)から中日新聞の傘下に入った。発行部数は約37万部(2024年1月)。
[補説]東京新聞の部数の推移
2010年…55万部
2011年…54万部
2012年…53万部
2013年…53万部
2014年…52万部
2015年…51万部
2016年…49万部
2017年…48万部
2018年…46万部
2019年…43万部
2020年…41万部
2021年…40万部
2022年…39万部
2023年…37万部
(各年の下期平均部数)
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とうきょう‐しんぶんトウキャウ‥【東京新聞】
- 東京を中心とする日刊新聞。昭和一七年(一九四二)一〇月、新聞統合で都(みやこ)新聞と国民新聞が合併して創刊された。同一九年三月から夕刊専門紙となったが、同三一年三月から朝刊も発行。同四二年一〇月、中日新聞に吸収され、中日新聞東京本社が発行所となる。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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東京新聞
とうきょうしんぶん
東京とその近県の読者を対象に、中日新聞東京本社が発行している日刊新聞。1942年(昭和17)8月の新聞統合により『都(みやこ)新聞』(1884年9月創刊の『今日(こんにち)新聞』に始まり、のち『都新聞』と改題)と『国民新聞』(1890年2月徳富蘇峰(とくとみそほう)が創刊)が合併、同年10月1日から『東京新聞』として発行した。戦時下、1944年5月から東京唯一の夕刊専門紙として発展、第二次世界大戦後の1956年(昭和31)3月から朝刊も発行したが、そのころから、親米・反共の編集方針が都市読者の変化に適応せず、しだいに経営が苦しくなった。1963年11月、中部日本新聞社(現中日新聞社)と業務提携、1967年10月に新聞発行に関するいっさいの営業を同社に譲渡するに至った。紙面には、朝刊に連日2ページ見開きで掲載される「こちら特報部」や、東京のローカルな話題をとりあげる「TOKYO発」などの、意欲的な企画がある。論調はリベラル色が強く、報道面でも少数派の人権問題などを手厚く報じる傾向がある。発行部数は朝刊約54万9000部、夕刊約24万4000部(2010)。
[高須正郎・伊藤高史]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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東京新聞 (とうきょうしんぶん)
東京を中心とする関東近県の日刊紙。1942年10月,戦時期の新聞統合政策により《国民新聞》と《都新聞》が合併して発足,44年用紙統制により夕刊紙となる。56年朝刊発行を再開したが経営はふるわず,67年10月同紙営業権は中部日本新聞社(《中日新聞》)に譲渡され,以後その東京本社により発行されている。発行部数約80万(1983),一般紙のなかではトピック記事や芸能記事を充実させている。
執筆者:佐々木 隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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東京新聞
とうきょうしんぶん
(1) 明治2 (1869) 年3月 26日から同5年5月まで,松平春嶽が発行した筆写新聞。 (2) 新聞事業令に基づく内閣情報局の一県一紙主義で,1942年『都新聞』と『国民新聞』が合併させられ,10月1日創刊された社団法人発行の新聞。 44年5月からは夕刊専門紙になった。第2次世界大戦後も『都新聞』の伝統を継ぐ下町的な感覚で東京の新聞界に独自の地歩を築いた。 56年3月の朝刊発行頃から経営が次第に下降し,61年 10月には株式会社に改組したが,63年 11月中日新聞社の傘下に入った。 67年 10月1日からは中日新聞東京本社が『東京新聞』を発行するという形態になっている。東京一円の地方紙である。発行部数は朝刊約 70万 1082,夕刊 41万 8270 (1996) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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東京新聞【とうきょうしんぶん】
1942年《都新聞》と《国民新聞》が合併して創刊された首都圏の地方紙。1943年,社団法人東京新聞社が発行元となった。1961年株式会社東京新聞社となり1963年から中部日本新聞社と業務提携。1967年10月1日より東京新聞は中日新聞東京本社から発行。部数は朝夕刊セット約72万部(1998)。
→関連項目国民新聞|中日新聞|都新聞
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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東京新聞〔1895年〕
明治時代の日本の新聞。中日新聞東京本社が刊行する同名の新聞とは異なる新聞。1893年、上野岩太郎らが創刊した「めさまし新聞」を改題、1895年12月より刊行を開始。寄稿者に板垣退助、栗原亮一などがいた。1898年、「日刊人民」に改題。
東京新聞〔中日新聞社〕
株式会社中日新聞社東京本社が発行する新聞。1942年、戦時中の新聞統合により、徳富蘇峰が創刊した「国民新聞」と、「都新聞」が合併して創刊。主な販売地域は関東の1都6県と静岡県の一部。
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世界大百科事典(旧版)内の東京新聞の言及
【国民新聞】より
…再建のため[石川武美],[根津嘉一郎]があいついで資本参加し,1926年株式会社に改組したが,もはや挽回できず,29年蘇峰は退社し,大島宇吉の経営に移った。42年新聞統合政策のため《[都新聞]》と合併し《[東京新聞]》となった。【有山 輝雄】。…
※「東京新聞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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