北橘(読み)きたたちばな

日本大百科全書(ニッポニカ) 「北橘」の意味・わかりやすい解説

北橘
きたたちばな

群馬県中東部、勢多郡(せたぐん)にあった旧村名(北橘村(むら))。現在は渋川市(しぶかわし)の南東部を占める地域。旧北橘村は2006年(平成18)渋川市に合併。国道17号と353号が通じる。農業地帯で、通称「ほっきつむら」といわれ、現在は地名に「渋川市北橘町(ほっきつまち)」を冠する。赤城(あかぎ)山の南西斜面で、西は利根(とね)川に、南端は前橋市に接する。放射谷の水田のほか、畑地が卓越する。かつては養蚕が中心であったが、最近では畜産が盛んで、ネギホウレンソウなどの野菜のほか、シイタケなどを産する。木曽三社(きそさんしゃ)神社、佐久(さく)発電所がある。

[村木定雄]

『『北橘村郷土誌』(1960・北橘村)』『『北橘村誌』(1975・北橘村)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北橘」の意味・わかりやすい解説

北橘
きたたちばな

群馬県中部,渋川市南東部の旧村域。地元では「ほっきつ」ともいう。赤城山南西麓から利根川東岸にある。 1889年村制施行。 2006年渋川市,伊香保町,小野上村,子持村,赤城村と合体して渋川市となった。酪農養鶏,野菜栽培と養蚕が行なわれ,稚蚕共同飼育所による養蚕の共同化が実施されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「北橘」の意味・わかりやすい解説

北橘 (きたたちばな)

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