子持(読み)こもち

精選版 日本国語大辞典「子持」の解説

こ‐もち【子持】

〘名〙
① 子を持っていること。子を孕(はら)んでいること。また、その女性。母となった人。また、妊娠中の人。転じて、その夫をもいう。
※宇津保(970‐999頃)蔵開上「涼の中納言殿より、産養あり。こもちの宮の御前に、白銀のついがさね十二、同じ御器据ゑて、敷物・打敷、いと清らなり」
※人情本・恩愛二葉草(1834)三「今時の娘は、十五六にて早、子持(コモチ)となる事珍らしからず」
② 特に、夫が自分のを間接にさしていう語。子の母である自分の妻。
※催馬楽(7C後‐8C)近江路「近江路の 篠の小蕗 はや曳かず こ毛知(モチ)待ち 痩せぬらむ 篠の小蕗や さきむだちや」
※虎明本狂言・雁盗人(室町末‐近世初)「こもちがみやげにせうとおもふて、是をとった」
③ 魚などが、体内に卵をもっていること。また、その魚。
④ 大小そろっているもの。大小で一組になったもの。紋所などでいう。また、刀や鏡餠などにもいう。
※浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)長町「下女が丸顔とり粉ぬる。鏡の大小子持かか」
⑤ 和船の帆柱の根元をさし込む受座。帆柱の縦の受材の筒の下端に結合させ、船底に固着するほぼ正方形の厚板。守(もり)。合(ごう)。〔和漢船用集(1766)〕
⑥ 太い線に細い線が平行に添ったかたち。「子持筋」「子持縞」「子持罫」などと熟して用いられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)「子持」の解説

子持
こもち

群馬県中部、北群馬郡にあった旧村名(子持村(むら))。現在は渋川市(しぶかわし)の北部中央地域を占める。旧子持村は2006年渋川市に合併。旧村域は子持山の南東斜面で軽石層に覆われ、水田よりも畑が多く、コンニャクイモ栽培と畜産、施設園芸の複合経営を行う農村。国道17号が利根(とね)川沿岸を走り、旧三国(みくに)街道は西部の北牧(きたもく)、横堀(よこぼり)地区を通ずる。中心は国道17号と353号の交差する吹屋(ふきや)。1256年(康元1)、長尾氏築城の白井城(しらいじょう)跡は利根、吾妻(あがつま)両川の合流点段丘面にあって遺構を存しており、白井城の北方2キロメートルに七不思議で知られる雙林(そうりん)寺(曹洞宗)がある。群馬用水の幹線が通じている。子持山南麓(なんろく)にある子持神社は子育ての神として知られる。また、古墳時代の村跡とみられる黒井峯(くろいみね)遺跡は国指定史跡

[村木定雄]

『『子持村史』(1969・子持村)』『『子持村誌』全2巻(1987・子持村)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「子持」の解説

子持
こもち

群馬県中部,渋川市北部の旧村域。子持山南斜面から利根川吾妻川の合流点の平地を占める。 1960年長尾村と白郷井村が合体して子持村が発足。 2006年渋川市,伊香保町,小野上村,赤城村,北橘村と合体して渋川市となった。畑地が広く,1969年群馬用水完成後,畑地灌漑により野菜の施設栽培も取り入れられた。コンニャクは特産黒井峯遺跡 (国の史跡) や浅田遺跡がある。

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デジタル大辞泉「子持」の解説

こ‐もち【子持(ち)】

子供、特に手のかかる幼児があること。また、その人。「三人の子持ち
子をはらんでいること。妊娠中の人。
魚類などで、卵をもっていること。また、その魚。「子持ちがれい」
大きなものに小さなものが添えられて、組になっているもの。また、そのもの。子持ちけい、子持ち縞など。
和船の帆柱の根元を差し込む受け台。
[類語]既婚所帯持ち子連れ

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