川鼻仮条約(読み)せんびかりじょうやく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「川鼻仮条約」の意味・わかりやすい解説

川鼻仮条約
せんびかりじょうやく

アヘン戦争(1840~42)の途中の1841年1月20日にイギリス貿易監督官のC・エリオットと清(しん)朝の欽差(きんさ)大臣、琦善(きぜん)との間で広東(カントン)省の川鼻という村で結ばれた条約。香港(ホンコン)の割譲、600万ドルの賠償支払い、広東貿易再開などを決め、イギリスはかわりに舟山からの撤退などを決めた。しかし清朝はこれを認めず、条約に調印した琦善を罷免(ひめん)、戦闘が再開され、清朝敗北の結果結ばれた南京(ナンキン)条約において、これらの条項が認められた。南京条約は中国の結んだ最初の不平等条約(それも敗戦に伴う敗戦条約)であるが、その前提をつくったものがこの仮条約である。

[加藤祐三]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川鼻仮条約」の意味・わかりやすい解説

川鼻仮条約
せんびかりじょうやく
Chuan-bi; Ch`uan-pi

1841年 (清,道光 21年) ,中国の広州付近の川鼻島で,清国全権の琦善 (きぜん) とイギリスの代表 C.エリオットとの間に結ばれようとしたアヘン戦争処理のための仮条約。その草案によれば,清国はホンコン島の割譲,賠償金 600万ドルの支払い,両国官憲の対等交渉,広州の再開港を認めることとなった。しかし道光帝はホンコン島割譲には反対であり,イギリスの外務大臣パーマストン (子)も不十分だとして,軍事行動を強化したので調印されず,草案のままに終った。

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旺文社世界史事典 三訂版 「川鼻仮条約」の解説

川鼻仮条約
せんびかりじょうやく

アヘン戦争中の1841年に清とイギリスの間に締結された条約
川鼻は珠江河口の島。1840年イギリス軍に圧迫された清朝は,林則徐 (りんそくじよ) を免職して琦善 (きぜん) を広東に派遣し,和議をはからせたが成功せず,イギリス軍の広東攻撃が行われた。そのため琦善は,イギリス全権エリオットとの間にこの条約を結び,香港割譲・賠償金支払い,広東貿易の再開,対等の貿易関係の設定などを約した。清朝はこれを認めず,琦善を罷免して再び開戦し,のち南京 (ナンキン) 条約が締結された。

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