エリオット(英語表記)Eliot, Sir Charles Norton Edgcumbe

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

エリオット
Eliot, Sir Charles Norton Edgcumbe

[生]1862.1.8. オックスフォードシャー,シルフォードゴウワー
[没]1931.3.16. マラッカ海峡
イギリスの外交官,東洋学者。イギリス領東アフリカ弁務官とザンジバル総領事を兼ねた (1900~04) 。のち大使となり来日 (20) 。大使を辞任したあとも日本に居住し,仏教学者として業績がある。

エリオット
Eliot, Charles William

[生]1834.3.20. ボストン
[没]1926.8.22. メーン,ノースイーストハーバー
アメリカの教育改革家。 1853年ハーバード大学卒業,58年同大学数学・化学助教授。 67年ヨーロッパに渡り,教育制度を研究。その視察報告書が前学長 H.トマスの目にとまり,その機縁で 69~1909年ハーバード大学学長をつとめ,同大学の名声を世界的水準に高めた。彼の学長時代,ハーバード大学は入学条件を高くし,他の主要大学もこれによったため,中等学校の水準も高まった。 1892年NEAが組織した中等教育改造十人委員会の委員長となり,従前8・4制に代る6・6制の学校系統,第7学年における外国語と数学の履修などの改革案を提唱した。この着想は 1910年に創設されたジュニア・ハイスクール制度で実現をみた。著書『幸福な生活』 The Happy Life (1896) ,『大学の管理』 University Administration (1905) ,その他。

エリオット
Eliot, George

[生]1819.11.22. ウォリックシャー,チルバーズ・コートン
[没]1880.12.22. ロンドン
イギリスの女流作家。本名 Mary Ann Evans。伝統的なキリスト教信仰のなかで育ったが,やがて実証主義哲学の影響を受けて信仰を捨て,不可知論の立場をとった。世間の批判を押切って,妻子のある批評家 G. H.ルイスと同棲,40歳近くになって小説を書きはじめた。人間の行為を,動機から結果にいたるまで精細に分析し,その道徳的責任を徹底的に追及するきわめて主知的,道徳的な作風。主要作品には『アダム・ビード』 Adam Bede (1859) ,『フロス川の水車場』 The Mill on the Floss (60) ,『サイラス・マーナー』 Silas Marner (61) をはじめ,サボナローラ時代のイタリアを背景にした『ロモラ』 Romola (62~63) や最高傑作『ミドルマーチ』 Middlemarch (71~72) などがある。

エリオット
Eliot, John

[生]1604. イギリス,ウィドフォード
[没]1690.5.21. マサチューセッツ湾植民地,ロックスベリー
北アメリカ先住民族(アメリカインディアン)への伝道者。初めイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)の教職にあったが,1631年アメリカに渡り,先住民族への伝道を志し,1646年から伝道に従事。聖書の原地語訳を出版した。福音と文明を同一のものとみ,その伝道は成功したが,やがて白人と先住民の人種闘争が激化したため,エリオットの努力は水泡に帰した。主著 "A Primer or Catechism, in the Massachusetts Indian Language"(1654),"The Christian Commonwealth"(1659),"The Harmony of the Gospels"(1678)。

エリオット
Eliot, Sir John

[生]1592.4.11. コーンウォール,セントジャーマン
[没]1632.11.28. ロンドン
イギリスの政治家。 1614年より下院議員になり,特にチャールズ1世治世に王の圧政に反抗して議会を指導し,「権利請願」の提出にも大きな役割を果した。 26年以来3度チャールズの命でロンドン塔に投獄され,29年3度目に投獄されたまま没した。

エリオット
Eliot, Thomas Stearns

[生]1888.9.26. セントルイス
[没]1965.1.4. ロンドン
イギリスの詩人,批評家,劇作家。アメリカで生れたが,1927年イギリスに帰化しイギリス国教会に入信。 48年ノーベル文学賞受賞。 22年,雑誌『クライティーリオン』 The Criterionに発表した『荒地』 The Waste Landなどの初期の詩や「伝統と個人の才能」を含む処女評論集『聖なる森』 The Sacred Wood (1920) によって,斬新な一種の純粋詩論を実践して現代イギリス詩の先達となったが,改宗の前後からキリスト教的世界観をふまえた詩観を展開,『四つの四重奏』 Four Quartets (43) に究極する詩のほかに,『寺院の殺人』 Murder in the Cathedral (35) ,『カクテル・パーティー』 The Cocktail Party (49) などの特異な詩劇を書き,また『異神を求めて』 After Strange Gods (34) ,『キリスト教社会の理念』 The Idea of a Christian Society (39) などにみられる文芸・社会批評を生んだ。彼の特徴は各著作が広範な全活動の一面となる有機的関連性をもつことであり,その影響は多様な形で今日にまで及んでいる。

エリオット
Elliot, Sir Charles

[生]1801
[没]1875
イギリスの外交官。中国名は義律。アヘン戦争当時の清英交渉にあたる。海軍士官であったが W.ネーピアの随員として清国に赴任,1836年,在広東の首席貿易監督官となる。 39年以降アヘン問題で林則徐との交渉にあたる。 41年 (清,道光 21年) には琦善 (きぜん) との間に川鼻 (せんび) 仮条約の交渉にあたり,ホンコンの割譲,対等の交渉権などを認めさせようとしたが,妥協的とされて H.ポッティンジャーと交代した。のちセントヘレナの知事をつとめた。なお,アヘン戦争時のイギリス軍司令官であった G.エリオットはいとこである。

エリオット
Elliott, Ebenezer

[生]1781.3.17. ヨークシャー,マズバラ
[没]1849.12.1. ヨークシャー,グレートホートン
イギリスの詩人。地主の利権を守る穀物法を非難した『穀物法詩集』 Corn-Law Rhymes (1831) で有名。

エリオット
Elliott, George Henry

[生]1884
[没]1962
イギリスのミュージック・ホールのコメディアン。歌,ダンス,パントマイムにすぐれ,Chocolate-Coloured Coonの名で知られる。

エリオット
Elliott, Jesse Duncan

[生]1782
[没]1845
アメリカの海軍軍人。アメリカ=イギリス戦争 (1812) のとき,エリー湖でイギリス船2隻を捕獲し,アメリカ側に最初の勝利をもたらした。

エリオット
Elyot, Sir Thomas

[生]1490頃.サマセット,イーストコーカー
[没]1546.3.26. ケンブリッジシャー,カールトン
イギリスの人文主義者,外交官。ヘンリー8世に捧げた処女作『為政者論』 The Govenour (1531) で王に認められ,カルル5世のもとに大使として派遣 (31,35) されたが,この書はのちのイギリス大学教育の理想をみごとに表現している。当時の学者には珍しく,もっぱら英語で書いた彼の著作は散文英語の発展に大きく寄与した。また最初のラテン語=英語辞典 (38) を完成。彼の古典の翻訳はイギリスにおける古典の普及に貢献した。

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百科事典マイペディアの解説

エリオット

英国の女性作家。本名Mary Ann Evans。《アダム・ビード》,《フロス河畔の水車小屋》,《サイラス・マーナー》(1861年),《ミドルマーチ》(1872年)などの知的で重厚な写実的作品で,19世紀英文学に重きをなす。社会的・宗教的関心が強く,フォイエルバハの《キリスト教の本質》などの英訳もある。

エリオット

米国に生れ英国に帰化した詩人,批評家。米,仏,英の大学で文学,哲学などを修める。処女詩集《プルーフロックその他の観察》(1917年),ロマン主義を批判し,伝統の価値を見直す古典主義的立場を打ち出した評論集《聖なる森》(1920年)のあと,1922年に長詩《荒地(あれち)》を発表。のち《聖灰水曜日》(1930年),《四つの四重奏》(1943年)などの詩で宗教的傾向を深める一方,《寺院の殺人》(1935年),《一族再会》(1939年),《カクテル・パーティー》(1949年)などの詩劇も書いた。評論では《詩の効用と批評の効用》(1933年),《異神を追いて》(1934年),《詩論・詩人論》(1957年)などが重要。日本の批評家にも大きな影響を与えた。1948年ノーベル文学賞。
→関連項目ウィットオーデングバイドゥーリナコリンズ詩劇ダン綱淵謙錠トマスニュー・クリティシズムニュー・ヒューマニズムパウンドブルームベケットマリー

エリオット

英国海軍出身の外交官。中国での呼び名は義律。1834年,対中国貿易監督官の書記として広州に至り,1836年首席監督官。林則徐によるアヘン取締りからアヘン戦争初期にかけて,英国側の現地責任者,全権として活躍。1841年帰国

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

エリオット Eliot, Sir Charles Norton Edgecumbe

1864-1931 イギリスの外交官,東洋学者。
1864年1月8日生まれ。大正8年駐日大使として来日,15年に退官し帰国。昭和4年再来日。仏教や日本の水産動物を研究したが,病気となり帰国途中の1931年3月16日死去。67歳。オックスフォード大卒。著作に「ヒンズー教と仏教」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

エリオット【George Eliot】

1819‐80
イギリスの女流作家。本名メアリー・アン・エバンズMary Ann Evans。彼女の作品はイギリス家庭小説の伝統を受けつぎつつ,当代一流の知識人の一人としてビクトリア時代のさまざまな思想的潮流と社会的視野からそれを照らし出し,鋭利な分析と落ち着いた描写を総合している。イングランド中部ウォリックシャーの土地差配人の娘に生まれ,堅実な田舎の中流家庭の雰囲気のなかで育ったが,幼い頃から読書好きで,優れた知的能力を示した。

エリオット【Thomas Stearns Eliot】

1888‐1965
イギリスの詩人,劇作家,批評家。アメリカのセント・ルイスに実業家の子として生まれたが,17世紀にイギリスからニューイングランドに移住した由緒ある家系の源に憧れるかのごとく,1927年にイギリスに帰化した。ハーバード大学卒業ののち,ソルボンヌ,オックスフォードでも学び,哲学についての博士論文を母校に提出したが,学位は取らずじまいだった。1915年,ロンドンでイギリス女性と結婚,高校教師やロイド銀行員として生計を立てながら,文壇的交友を深め,著作にふけった。

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大辞林 第三版の解説

エリオット【Eliot】

〔George E.〕 (1819~1880) イギリスの女流小説家。本名 Mary Ann Cross(旧姓 Evans)。心理主義小説の先駆者の一人。代表作「フロス河畔の水車小屋」「サイラス=マーナー」など。
〔Thomas Stearns E.〕 (1888~1965) イギリスの詩人・批評家。アメリカから帰化。詩・評論に古典主義・主知主義の文学観を展開。詩「荒地」「四つの四重奏」、評論「聖なる森」など。

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367日誕生日大事典の解説

エリオット

生年月日:1862年1月8日
イギリスの外交官,東洋学者
1931年没

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世界大百科事典内のエリオットの言及

【荒地】より

…鮎川信夫(1920‐86),山川章(森川義信)らが中心であった。誌名はイギリスの詩人T.S.エリオットの詩《荒地The Waste Land》に由来する。第2次は47年9月創刊,48年6月終刊。…

【荒地】より

…イギリスの詩人T.S.エリオットの詩。1921年秋,神経の変調を治すため滞在していたローザンヌで書かれた初稿が,エズラ・パウンド(献辞の〈私にまさる工匠〉)の意見に従って,ほぼ半分の長さに縮められ,22年10月雑誌《クライティリオン》創刊号に発表。…

【イギリス文学】より

…そのうえ19世紀末の英詩には,フランス象徴派の影響も見のがせない。たしかにそこから出発したT.S.エリオットは20世紀の《荒野》の風土に新しい信仰を模索したし,それに続く時代のオーデン・グループは新しい社会性への〈参加〉の姿勢を示すことによって,英詩の伝統のたくましさを証(あかし)した。しかし第2次大戦後のイギリス詩は,やはり個人の純粋な詩魂を,つぶやくように守っているように見受けられる。…

【韻律】より

…19世紀までは詩はくりかえされる,規則正しいリズムの波に従って,吟誦(ぎんしよう)chantされたが,20世紀になっては話speakされるようになった。T.S.エリオットは1951年に発表した《詩と劇Poetry and Drama》と題する論文の中で,彼の作詩法を説明し,詩の韻律を散文律に近づけること,各行の長さおよびシラブルの数は画一にしないが,行中に一つの小休止caesuraを置き,アクセントは小休止の前に一つあれば後に二つ,前に二つあれば後に一つ,合わせて三つ置くようにしたと書いている。筆者はエリオット自身の朗読の録音,そのほか現代の英米詩人および学者の朗読のレコードを集めて研究してみたが,みなエリオットとよみ方を一つにしていた(図1参照)。…

【クライティーリオン】より

…イギリスの文芸季刊誌(一時,月刊)。1922年,T.S.エリオットにより創刊。フランスの《NRF》,ドイツの《ノイエ・ルントシャウ》などと連携を保ち,ヨーロッパの文化的共同体をつくりあげようという抱負から生まれ,創刊号にエリオットの《荒地》が掲載されたほか,すぐれた作品,批評が紹介され,20世紀の感受性を形づくるのに大きく貢献した。…

【寺院の殺人】より

…イギリスの詩人,劇作家T.S.エリオットが1935年カンタベリー大聖堂での上演のために委嘱されて書いた劇。1170年,国王との対立からこの大聖堂で殺された大司教トマス・ベケットの殉教を主題としている。…

【ニュー・クリティシズム】より

…〈新批評〉とも訳す。20年代のT.S.エリオットやI.A.リチャーズらによる新しい文学意識にもとづき,文学作品(とくに詩)の精密・客観的な評価をめざした。J.C.ランサム,A.テートらの率いるアメリカの〈南部批評家〉がその母体とみなされるが,イギリス側ではケンブリッジ大学でリチャーズの教えを受けたW.エンプソンをその数に入れることもある。…

【ミシシッピ[川]】より

…ウィリアム・フォークナーの《野性のシュロ》の背景もミシシッピ川の大洪水である。 こうした川がもつ自然の二面性をさらにいっそう明確に指摘したのは,同じくミシシッピ川沿いの都市セント・ルイスに生まれた詩人T.S.エリオットであった。西欧の豊かな文化伝統を求めて,最後はイギリスに帰化した彼は,《ハックルベリー・フィン》に触発されて,このミシシッピ川を〈強力な褐色の神〉と称し,〈川の神〉を忘れ,〈機械の神〉のみに奉仕する現代人に警告を発した。…

【四つの四重奏】より

…アメリカ出身でイギリスに帰化した詩人T.S.エリオットの長編詩。1943年刊。…

※「エリオット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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