志苔館(読み)しのりたて

日本の城がわかる事典 「志苔館」の解説

しのりたて【志苔館】

北海道函館市に残る中世の城館跡。函館空港の滑走路南側の海岸沿いの丘の上に、当時の土塁空堀、建物や井戸の跡が残っている。郭内は東西70~80m、南北50~65m(約4100m2)ほどの規模を持つ。蝦夷地と呼ばれた北海道に支配が及び始めたのは鎌倉時代ごろで、津軽(現在の青森県)を本拠とした安東氏蝦夷管領として支配を行った。室町時代には、渡島半島南部には安東氏配下の豪族の館が12あったと伝えられているが、志苔館はその一つである。この館は、南北朝時代の動乱期に、津軽から蝦夷地に渡った上野国(現在の群馬県)出身の小林重弘が築いたとされている。和人の蝦夷地進出に反発したアイヌ民族は、1457年(長禄1)に首長コシャマインに率いられ反乱(コシャマインの乱)を起こし、12の館を攻撃したが、志苔館もその際陥落した。その後、蠣崎(かきざき)氏(のちの松前氏)の祖となった武田信廣により乱は平定されたが、志苔館の主の小林氏は武田信廣に従うことになったため、この館は廃棄された。1968年(昭和43)、この付近の道路工事を行った際、15世紀に埋められたと推定される甕(かめ)が出土し、中から明(みん)の洪武通宝をはじめとする約37万4000枚もの渡来銭銅銭)が出てきたことから、志苔館は注目される存在になった。JR函館本線函館駅から恵山・石田温泉方面行きバス約23分、志海苔下車後、徒歩約5分。◇志海苔館、志海苔城とも記される。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「志苔館」の解説

志苔館
しのりだて

志濃里館・志海苔館とも。北海道函館市にあった道南十二館の一つで,中世後期の和人の館。コシャマインの乱の舞台となった。土塁で方形に囲まれた単郭の縄張で,西側に2本の堀切を配し,虎口(こぐち)を設ける。眼下に港をもち,アイヌとの中継貿易が指摘されている。付近で大甕3基,37万枚余の北宋銭を主とする銭が発見された。国史跡

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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