新当流(読み)シントウリュウ

デジタル大辞泉 「新当流」の意味・読み・例文・類語

しんとう‐りゅう〔シンタウリウ〕【新当流】

剣術流派の一。近世常陸ひたち鹿島の塚原卜伝つかはらぼくでん創始。鹿島新当流。卜伝流
馬術の流派の一。近世、近江おうみ彦根の神尾織部吉久が創始。悪馬新当流。

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精選版 日本国語大辞典 「新当流」の意味・読み・例文・類語

しんとう‐りゅう シンタウリウ【新当流】

〘名〙
① 剣術の流派の一つ。近世初期、常陸国(茨城県)の塚原卜伝高幹が始めたもの。一説に、上野国(群馬県)の上泉伊勢守秀綱が始めたともいわれる。鹿島新当流。
※甲陽軍鑑(17C初)品一一「九平のうちに兵法にて手柄二三度仕るといへども、新当流(シンタウリウ)の兵法こそ本の事なれと皆人の沙汰也」
② 馬術の流派の一つ。近世、彦根藩士神尾織部吉久が創始したもの。普通の馬術のほか、特に悪馬・難馬を矯正するのを主眼とするところから、悪馬新当流ともいう。
※俳諧・本朝文選(1706)九・弁類・射御弁許六〉「馬は悪馬新当流を学むで、かけひきの道は達者なり」

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「新当流」の意味・わかりやすい解説

新当流
しんとうりゅう

室町時代におこった剣術古流の一つで、流祖は塚原卜伝高幹(つかはらぼくでんたかもと)(1489―1571)。鹿島(かしま)新当流、卜伝流ともいう。卜伝は常陸国(ひたちのくに)鹿島社の祠官(しかん)、卜部覚賢(うらべかくけん)の次男で、幼名を朝孝といい、父から鹿島伝来の古太刀(こだち)を、養父の塚原土佐守安幹(やすもと)から飯篠長威斎(いいざさちょういさい)の天真正伝神道流を学び、さらに1522年(大永2)34歳のとき、鹿島の神前に千日参籠(さんろう)して、「一の太刀」の妙術を感得し、剣67手・長刀(なぎなた)22手・鑓(やり)9手からなる新当流を創始したと伝える。

 のち、諸国を歴遊して、流の弘布(こうふ)に努め、甲州では山本勘介(かんすけ)ら武田家の諸士に、上洛(じょうらく)して将軍足利義輝(あしかがよしてる)らに教授し、伊勢(いせ)国司北畠具教(きたばたけとものり)に一の太刀を伝えたという。このとき、卜伝は多数の門人を引き連れ、鷹(たか)を据え、馬を引かせて、一行は豪勢にふるまったというが、つまびらかではない。卜伝の晩年の門人、松岡兵庫助則方は、徳川家康の兵法師範となり、全国に剣名を高めた。

[渡邉一郎]

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デジタル大辞泉プラス 「新当流」の解説

新当流

剣術の流派のひとつ戦国時代に常陸国鹿島の剣豪、塚原卜伝(ぼくでん)が創始。「卜伝流」「鹿島新当流」とも。

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世界大百科事典(旧版)内の新当流の言及

【塚原卜伝】より

…戦国時代の剣客。新当流の流祖。字は高幹(たかもと)。…

※「新当流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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