江戸前期の俳人。姓は森川,名は百仲。通称五介。字は羽官。幼名は金平または兵助。菊阿仏,五老井(ごろうせい)など多くの別号がある。彦根藩士。俳諧は初め季吟の風体を学び,のち常矩(つねのり)に入門したというが,その間の俳歴は明らかでない。初めは漢詩や狩野派の絵画に心をもっぱらにしていたが,1689年(元禄2)ごろから俳諧に力を入れるようになる。蕉門では尚白らの指導を受けたが,撰集を通して芭蕉の精神を探り,入門を願いつつも官務のために機を得ず,数年を経,ついに92年の出府の折に面晤(めんご)し本懐を果たした。その折に示した〈十団子(とおだご)も小粒になりぬ秋の風〉の句は,芭蕉に〈しほりあり〉と賞された。以後1年の在府中芭蕉に親しみ,直接の指導を受け,芭蕉もまた許六から絵について学ぶことがあった。芭蕉の没後,97-98年に去来との往復書簡で俳論をたたかわし,“血脈”論,“取合(とりあわせ)”論を自説の中心とした。発言に傲慢不遜の色あいがあるが,蕉門では支考と並ぶ論客。1705年(宝永2)に編んだ《風俗文選》は,初の俳文集として価値高いものだが,芭蕉の遺志を継いだものであった。《和訓三体詩》(1714成立)は漢詩の和訳を試みたもの。10年に病気のため致仕,剃髪して菊阿と号した。編著は,他に《韻塞(いんふたぎ)》《篇突(へんつき)》《宇陀法師》(いずれも李由と共編)や《正風彦根躰(しようふうひこねぶり)》《歴代滑稽伝》など。
執筆者:桜井 武次郎
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江戸中期の俳人。森川氏。本名百仲(ももなか)、通称五介(ごすけ)、別号五老井(ごろうせい)・菊阿仏(きくあぶつ)。近江(おうみ)彦根藩井伊直澄(いいなおずみ)の家臣で、宝蔵院流の槍(やり)を得意とし、狩野(かのう)派の絵画や漢詩にも通じるなど、多芸の人であった。俳諧(はいかい)は初め貞門、談林に学んだが、『冬の日』『猿蓑(さるみの)』などをみて蕉風(しょうふう)の閑寂美にひかれるようになり、1692年(元禄5)江戸出府のおり、ついに面接の機を得て芭蕉(ばしょう)に入門した。芭蕉晩年の新風の体得者を自任した許六は、自ら「正風血脈(けちみゃく)の門人」と称して血脈説を唱え、また句作の方法として取合(とりあわ)せ論を力説するなど、蕉風理念の究明に鋭い直観力を示して、彦根風の一派を形成したが、とくに師の没後の蕉風混迷期に次々に著した『篇突(へんつき)』『宇陀法師(うだのほうし)』『俳諧問答』『歴代滑稽(こっけい)伝』などの俳論書は評価が高い。なお、芭蕉をはじめ蕉門俳人の文章を集めて『本朝文選(もんぜん)』を編纂(へんさん)したことも俳文史上特筆されねばならない。
[堀切 實]
十団子(とをだご)も小粒になりぬ秋の風
『尾形仂著「森川許六」(『俳句講座3』所収・1959・明治書院)』
1656.8.14~1715.8.26
江戸前期の俳人。近江国彦根藩士。姓は森川。名は百仲。別号は五老井(ごろうせい)など。1692年(元禄5)江戸在勤中に芭蕉に入門。芭蕉最晩年の弟子だが,画道の師と仰がれ,帰国の際「柴門(さいもん)之辞」を贈られるなど,素質を高く評価された。蕉風俳諧の格式を制定しようとした「韻塞(いんふたぎ)」「篇突(へんつき)」の共撰,俳諧史論「本朝文選」「歴代滑稽伝」,芭蕉句集「泊船集」の補正,漢詩の俳文化を試みた「和訓三体詩」など多彩な活躍をした。蕉門十哲の1人。
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…早く中世の能楽,連歌で,わが身を愚鈍と思い侘(わ)ぶ心から発した〈しをれたる風体〉というのがあるが,そのような心理から,すべての物にあわれを感じ,それをさらりと余情に反映させた場合の句を〈しほりある句〉というのである。芭蕉は許六の句〈十団子(とおだご)も小粒になりぬ秋の風〉を〈此句しほりあり〉と評したという。これは〈秋の風〉のあわれを〈小粒になりぬ〉という言葉で,句の姿,余情にさらりと表現した手腕を褒めたものであろう。…
…孔門十哲などにならったもの。許六の〈師の説〉に〈十哲の門人〉と見えるが,だれを数えるかは記されていない。その顔ぶれは諸書により異同があるが,1832年(天保3)刊の青々編《続俳家奇人談》に掲げられた蕪村の賛画にある,其角,嵐雪,去来,丈草,許六(きよりく),杉風(さんぷう),支考,野坡(やば),越人(えつじん),北枝(各項参照)をあげるのがふつうである。…
…俳諧論書。元禄10年(1697)閏2月付で去来が其角(きかく)に送った書状を皮切りに,翌年にかけて許六(きよりく)と去来の間で交わされた往復書簡を集めたもの。〈贈晋氏其角書〉〈贈落柿舎去来書〉〈答許子問難弁〉〈再呈落柿舎先生〉〈俳諧自讃之論〉〈自得発明弁〉〈同門評判〉から成る。…
…5冊本もある。芭蕉の遺志を継ぐ最初の俳文集で,蕉門の許六(きよりく)編。1706年(宝永3)9月に京の井筒屋庄兵衛から《本朝文選》と題して刊行。…
…俳諧論書。李由・許六(きよりく)共編著。1698年(元禄11)刊。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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