智泉聖通(読み)ちせん・しょうつう

朝日日本歴史人物事典 「智泉聖通」の解説

智泉聖通

没年嘉慶2/元中5.11.25(1388.12.24)
生年延慶2(1309)
鎌倉末・南北朝期の臨済宗の尼で,尼五山通玄寺の開山。順徳天皇の孫の四辻宮尊雅王の娘。兄は夢窓疎石の高弟で天竜寺第2世の無極志玄。石清水八幡宮の社家善法寺了清(通清)に嫁ぎ,足利義詮 の妻で義満, 満詮の母である紀良子を含め数人の子を生む。のちに出家し夢窓疎石に師事して仏道を極める。応安7/文中3(1374)年ごろには清水坂に庵を構え(『後愚昧記』),のちに高倉通三条上ル西側に通玄寺を創建。康暦2/天授6(1380)年の通玄寺仏殿経始の記事(『空華日用工夫略集』)から開基はこのころと考えられている。至徳2/元中2(1385)年に通玄寺東庵を構え隠居した。東庵はのちに曇華院に発展,応仁の乱で通玄寺が焼失したあとに寺跡を継いだ。<参考文献>『通玄寺史』,大石雅章「比丘尼御所室町幕府」(『日本史研究』335号),芝野康之「室町加州における一在京領主について」(『中世社会一向一揆』)

(岡佳子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「智泉聖通」の解説

智泉聖通 ちせん-しょうつう

1309-1388 鎌倉-南北朝時代の尼僧
延慶(えんきょう)2年生まれ。四辻善成の姉。順徳天皇の曾孫。石清水(いわしみず)八幡宮の別当善法寺通清と結婚し紀良子(きの-よしこ)を生む。のち出家し,臨済(りんざい)宗の夢窓疎石に師事。京都に通玄寺をひらき,その後曇華(どんげ)庵をたて隠居した。嘉慶(かきょう)2=元中5年11月25日死去。80歳。

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