村山又三郎(読み)むらやままたさぶろう

改訂新版 世界大百科事典 「村山又三郎」の意味・わかりやすい解説

村山又三郎 (むらやままたさぶろう)

江戸村山座の座元。(1)初世(1605-52・慶長10-承応1) 京都芝居の祖とされる村山又八の次男。寛永期(1624-44)前後の歌舞伎興隆に力のあった一族の一人。泉州堺に生まれ若年より歌舞伎を覚え,1631年(寛永8)江戸に下って34年上堺町興行を許可され,村山座の座元となり,その後身である市村座元祖と称されている。当時は踊りや能の間狂言の歌舞伎化が演目のおもなものであったという。(2)2世(1862-81・文久2-明治14) 市村家の縁者である6世福地茂兵衛の子。1872年に市村座の財政問題から14世市村羽左衛門が引退したため,又三郎をついで村山座の名義を再興した。わずか2年間で経営難から座元を引退。以後坂東亀三郎の名で,若女方として舞台に出ていた。
市村座
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朝日日本歴史人物事典 「村山又三郎」の解説

村山又三郎

没年:承応1.3.6(1652.4.14)
生年:慶長10(1605)
江戸初期の江戸村山座(のちの市村座)の創始者。京で役者をしていたが,芸指南のため江戸へ下り,寛永11(1634)年,上堺町(人形町)で興行を開始。同15年(17年とも),女形の弟左近を迎えてのち,幕府の許可を得て櫓をあげ,同20年市村座と改称

(今西晶子)

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世界大百科事典(旧版)内の村山又三郎の言及

【座元(座本)】より

…櫓主,太夫元ともいう。江戸では,1624年(寛永1)に猿若(中村)勘三郎が幕府に願い出て,中橋での興行を許されたのが座元の始まりで,以後,都伝内,村山又三郎,山村小兵衛(長太夫),河原崎権之助,森田太郎兵衛,玉川新十郎がそれぞれ劇場を立てて座元となった。57年(明暦3)の江戸大火後,中村勘三郎,市村宇(羽)左衛門,森田勘弥,山村長太夫の4人に限り座元として興行することが許されたが,1714年(正徳4)の江島生島事件で山村長太夫が官許を取り消され,山村座は廃絶した。…

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