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グスマン Guzmán, Martín Luis

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

グスマン
Guzmán, Martín Luis

[生]1887.10.6. チワワ
[没]1976.12.22. メキシコシティー
メキシコの小説家。 1910年革命に材を求めた『鷲と蛇』 El águila y la serpiente (1928) ,『首領の影』 La sombra del Caudillo (29) ,『パンチョ・ビーヤの回想』 Memorias de Pancho Villa (40) などで知られている。

グスマン
Gusmão ,José Alexandre(Xanana)

[生]1946.6.20. 東ティモール,マナトゥト
東ティモールの初代大統領。イエズス会系の神学校で学んだのち,数々の職業を経験する。 1975年東ティモール独立革命戦線 (FRETILIN) に加わり,ポルトガルの植民地支配終了後東ティモールを武力併合したインドネシアに対し抵抗運動を繰り広げる。 1981年 FRETILINの軍事部門である東ティモール民族解放軍 (FALINTIL) 司令官に,1986年には独立運動の統合組織であるマウベレ民族評議会 CNRMを組織し議長に就任する。 1992年インドネシア軍に捕えられ投獄。 1998年獄中で CNRM改め,東ティモール民族抵抗評議会 (CNRT) の議長に就任。 1999年東ティモールで独立の是非を問う住民投票が行なわれたのち釈放される。国際連合暫定統治下の 2002年4月大統領選挙に当選し,東ティモールが正式に独立した5月 20日に就任した。 1998年サハロフ人権賞受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

グスマン Guzman, Luis de

1543?-1605 スペインの宣教師。
1584年ベルモンテ大学長のとき,天正遣欧使節に会見して東洋伝道に関心をいだく。1595年トレドのイエズス会管区長。インド,中国,日本への伝道を「東方伝道史」にまとめ,1601年初の東洋伝道史として公刊した。1605年1月10日死去。62歳?オソルノ出身。

グスマン Guzman, Francisco Tello de

?-1603 スペインの行政官。第6代フィリピン総督。
土佐(高知県)に漂着したスペイン船サン-フェリペ号の積み荷没収をきっかけに二十六聖人殉教事件がおきると,慶長2年(1597)使節ナバレテを派遣して豊臣秀吉に抗議。のち平和通商外交を展開した徳川家康に,日本人の海賊行為禁止をもとめた。1603年4月死去。セビリア出身。

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世界大百科事典 第2版の解説

グスマン【Nuño Beltrán de Guzmán】

?‐1550?
スペイン人コンキスタドール。メキシコ湾岸パヌコ地方の統治官(1526‐28),メキシコ市の第1次アウディエンシア長官(1528‐29)を歴任。コルテス派と対立,これを弾圧して反感をかい,スマラガからも告発されて,西部へ征服遠征に出る。2年にして西部全域をほぼ制圧,王領ヌエバ・ガリシアを創設して初代統治官に就任し,グアダラハラはじめ多くの都市を建設した。敵が多く,また原住民を虐待したため,1538年解任され,本国送還のうえ投獄された。

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