人形町(読み)にんぎょうちょう

改訂新版 世界大百科事典 「人形町」の意味・わかりやすい解説

人形町 (にんぎょうちょう)

東京都中央区北部地名。正式には日本橋人形町と称し,1~3丁目よりなる。地名は,江戸初期にこの付近に人形師や人形商が集中していたことに由来する。1617年(元和3)江戸幕府が現人形町交差点付近に遊郭の建設を許可し,翌年吉原〉として開業,57年(明暦3)の浅草千束村への移転まで続いた。1872年(明治5)南隣の日本橋蠣殻(かきがら)町に芝赤羽橋から水天宮が移って以来,その門前町として発展し,日本橋かいわいで唯一戦災にあわなかったこともあって,現在も水天宮通り(都内最古のアーケード街)を中心に老舗(しにせ)が多く,下町情緒を色濃く残す商店街が形成されている。北部は日本橋堀留町から続く繊維問屋街。人形町交差点北側に歌舞伎与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)》で知られる玄冶店(げんやだな)の旧跡があり,その隣が1970年まで続いた寄席末広亭の跡地である。地下鉄都営浅草線および東京メトロ日比谷線の人形町駅が近い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「人形町」の意味・わかりやすい解説

人形町
にんぎょうちょう

東京都中央区北東部にある地区。正しくは日本橋人形町。江戸時代、西の銀座と肩を並べた東の繁栄地。1842年(天保13)に浅草猿若(さるわか)町に移転するまで江戸芝居の中心地で、人形市(いち)も立ち、土産(みやげ)物の人形を売る店が並んでにぎわっていたのが町名の由来という。しかし、明治以降は人形町といえば水難安産守護神として信仰される水天宮との縁が深く、その門前町として発展した。現在は金融機関や会社の本・支店の並ぶ商業地区。また、門前町らしく老舗(しにせ)の料理店・菓子店がある。東京地下鉄日比谷(ひびや)線と都営地下鉄浅草線が人形町駅で交差している。

[菊池万雄]

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百科事典マイペディア 「人形町」の意味・わかりやすい解説

人形町【にんぎょうちょう】

東京都中央区の町名。江戸時代,芝居小屋があり,みやげの人形を売る店が多く,葭(よし)町の花街にも近かった。下町情緒にあふれた商店街があり,付近に明治座(浜町),水天宮(蛎殻(かきがら)町)がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「人形町」の意味・わかりやすい解説

人形町
にんぎょうちょう

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